見出し画像

セリエA 第7節 モンツァ vs ユベントス 〜文化の継承

モンツァとの試合にも0-1で敗れたユベントス。週に2試合のスケジュールでは修正する時間はなかったのか、ベンフィカ戦の悪かった部分がそのまま出た試合となりました。現在のユベントスはもはやチームではありません。負けるためにプレーしているのではないか、八百長に関与しているのではないかと思ったほどです。それほどまでに、選手は疲弊しているのでしょう。メンタル的にも、フィジカル的にも。ただ、その中でもやれることはあったはずです。しかし、それすらできなかった。その原因について考えてみます。

文化の継承

監督解任は一つの案だが…

盛んに報じられているアッレグリの解任もあり得るでしょう。DAZNの中継では、アッレグリが選手たちと面談する機会を持ったとも言われています。そして、選手の中にはアッレグリをよく思っていない選手がいるとも。監督がチームを掌握しきれていないのであれば、出来ることは2つです。監督を切るか、監督に反抗する選手を切るかです。本来、ユベントスは後者をとるタイプのクラブだと思います。クラブの規律やチームとしての振る舞いを重視していたはずです。しかし、マロッタがクラブを去ったあたりからクラブの規律も怪しくなっているように思います。いつの間にか、フロントとチームが一体ではないバラバラのクラブになってしまったように思います。サッリにしても、ピルロにしても一年で解任。監督に対するフロントのサポートは十分だったのでしょうか?アッレグリと選手やフロントの関係が崩れているなら、監督を切ることになるでしょう。しかし、フロントが監督を全面的にサポートする必要があるでしょう。

文化の継承

ピッチの上では、選手がまるでバラバラに動いています。チームとして行動できているようには思えません。ユベントスの文化、どんな時にもチームとして戦うという文化を伝えることまでアッレグリが担っているとしたら、うまくいくはずはありません。本来、クラブの文化とは選手同士で伝え合うものだからです。監督にはどうしても権威・権力が付き纏います。監督からクラブの文化を伝えられても、権威を傘に押し付けられたものと捉える選手も出てくるでしょう。まして、「全員で守備をする」という、ポジショナルプレー全盛、「攻撃的」という言葉が一人歩きしている現代サッカーの潮流に逆行するようなことを伝えられても、素直に受け入れられない選手がいても不思議はありません。だからこそ、昨季まで所属していたキエッリーニら「レジェンド」と呼ばれる選手たちがロッカールームで、トレーニングセンターで、ピッチで、言葉で、プレーで、振る舞いで伝えていくことが必要になるはずです。選手という同じ立場で結果を出してきたレジェンドたちが毎試合、チームのために貢献するプレーを示すことでユベントスの文化を伝えてきたのだろうと思います。

これまで、ユベントスの文化を体現してきたのは、デルピエロであり、ブッフォンであり、バルザーリであり、キエッリーニでした。監督にもイタリア人を招聘することを第一に考えているようです。つまり、ユベントスの中心はイタリア人であり、文化の継承者となるのもこれまではイタリア人だったのです。しかし、現在のチームに中核となりうるイタリア人プレーヤーはいません。ここ数年でチームのメンバーはガラリと入れ替わり、ブッフォン、バルザーリ、キエッリーニの3人と共にプレーした選手はほとんど残っていません。ボヌッチとデシーリオ、サンドロ、シュチェスニーくらいでしょうか。しかし、ボヌッチとデシーリオは一度チームを離れています。サンドロはブラジル人、シュチェスニーはポーランド人です。つまり、ユベントスの文化を継承できる選手はもう残っていないということになります。

「ベンフィカ戦の最初の30分間にようやく本物のユーヴェの姿を見ることができた。だがその後、最初の困難に直面すると、ユーヴェは消えてしまった。開始から30分が経過して何が起きたのかは分からない。しかし、あのようなパフォーマンスの低下は起きてはならないことであり、フィジカルが原因ではないと思う。メンタル面によるものだろう。対するベンフィカは、ユヴェントスに足りない意欲とパワー、スピードを持っていた。

おそらくアッレグリは、以前からすべてを理解していたのではないだろうか。それを基にチーム作りをしたが、すべてのプレーの土台となる屋台骨の選手たちが離脱してしまった。移籍期限間際にミリクがやって来たのは幸運だったが、現在のチームはアッレグリが補強の際に思い描いていたチームとは違う。そこで解決の糸口を見つけられず、方向を示せずにいる。」

これはベンフィカ戦後のカペッロのコメントです。カペッロも、ユベントスの選手の、もしくはチームのメンタルの変化を感じていたのかもしれません。そして、カペッロのコメントを信じるならば、アッレグリ自身もユベントスの文化が失われつつあることを感じていたのでしょう。

今後の方向性

残念ながら、ユベントスはクラブの伝統も、文化も、継承することに失敗してしまったと言えるかもしれません。そうだとしたら、現在のチームに勝利を期待するのは酷でしょう。「常勝チーム」の伝統、文化、メンタリティはもはや存在しないのですから。現在のユベントスの内実は、ただの選手の寄せ集めと言えるのかもしれません。迷走を続けてきたマンチェスター・ユナイテッドや数年前のミランと同じような雰囲気を感じます。ただ、ミランが示してくれたように、フロントとファン、選手にも覚悟と我慢があれば、苦しい時期を乗り越えて再び栄光に近づけるはずです。そのためには、フロント、ファン、コーチ、選手がもう一度一丸となってチームの再建を我慢強く進めなければいけません。

アッレグリを解任するなら、新しい文化の創造に取り組むということになるはずです。それには相応の時間がかかるでしょう。仮に噂のあるジダンを招聘したとしても、です。なぜなら、ユベントスはレアル・マドリードではないからです。ロナウドもいなければ、モドリッチもラモスも、マルセロもベンゼマもいません。実績も実力も世界トップクラスの選手は、残念ながら現在のユベントスにはいません。ミレッティをはじめ、ロカテッリ、ブレーメル、ブラホビッチ、マッケニー…。これからワールドクラスへと挑む選手たちばかりです。ジダンが彼らをワールドクラスへと変貌させてくれるかもしれません。しかし、それもまだ先のことでしょう。ジダンなら、クラブのレジェンドですし、レアルを率いてUCL3連覇達成と、監督としての実績もあります。選手とファンのリスペクトを集めることはできるでしょう。フロントもジダンなら結果が出なくても我慢して待てるかもしれません。ただ、ユベントスはレアルとは違うという点は肝に銘じておかなければいけません。ジダンがエンバペやハーランドを欲しがっても、買えるとは限りません。プレミアの6強やスペインの2強、バイエルンやPSGらと財政的に渡り合うことは難しいでしょう。現在のユベントスは、ヨーロッパにおける立場的にはアトレティコマドリードと同等程度と見ています。追う立場のチームをジダンがどう率いるのか。未知数の部分は意外と大きいだろうと考えます。ジダンでなかったとしても、ユベントスの復権はなかなか難しいミッションかもしれません。

ユベントスの文化を継承するなら…

一方、約1年前、アッレグリを呼び戻したのは何のためだったのでしょう?サッリやピルロを解任してまでアッレグリを呼び戻したのは、ユベントスの文化を継承するためだったのではないでしょうか。選手が入れ替わり、選手間での文化の継承が困難になったからこそ、5年間ユベントスを率いてその文化を理解しているアッレグリを呼び戻したのではないか。そう考えると、まだ我慢の時期と言えるでしょう。フロントは腰を据えて見守り、アッレグリをサポートする必要があると思います。

それに、選手の中にもユベントスの文化を継承し、ピッチの上でリーダーシップを発揮できる選手が出てきています。昨季、アッレグリは将来のキャプテン候補として、デリフトとロカテッリの名前を挙げていました。デリフトはクラブを去りましたが、ロカテッリはユベントスにいます。ロカテッリが先発を離れ、負傷で出場できなくなってからユベントスの不調は始まりました。ロカテッリはピッチの上でも周りの選手に身振り手振りでコーチングしていました。まだ20代前半。若いながらもチームの中心となっています。ロカテッリの復帰がかすかな光明になるかもしれません。そして、ロカテッリがユベントスの文化を継承してくれる選手になるかもしれません。

なお、試合を簡単に振り返れば、ディマリアの肘打ちはアホかとしか言いようがありません。ガッティも上手く出し抜かれてしまいました。攻撃に関しても決定機手前までは行くけれども最後のパスがズレたり選択を間違えたり…。アッレグリが選手の質に言及したくなる気持ちもわからないではないような気もします。ロベッラは生き生きとプレーしていました。ロベッラのおかげで90分楽しめました。

まあ、結果の世界ですし、モンツァ戦の内容があまりに酷すぎるので、アッレグリの解任もやむなしとは思います。ただ、次の監督の選定、今後のクラブ運営には長期的な視野の下、計画を立てて取り組んでほしいと思います。

この記事が参加している募集

#サッカーを語ろう

10,969件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?