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旧甲州街道ウォーク⑤ 府中宿→日野宿

こんにちは、ばーどです。
2024年6月22日(土)。甲州街道で最大の川越え、多摩川を渡ります。。



1.本宿

旧国鉄 下河原線跡
今は下河原緑道として整備されている

下河原線は、中央線の国分寺駅から分岐して東京競馬場前駅までの路線。並行する武蔵野線の開業に合わせて、昭和48年に廃止されてます。

曹洞宗高安寺 足利尊氏の建立
街道の風景

この辺りの地名は片町。
街道沿いの北側(写真右側)だけ集落があったため、その名がついたとか。
今は反対側にも住宅が続いてます。

弁慶坂

全国に残る言い伝えによく登場するのが、弘法大師と弁慶。
高安寺の井戸を弁慶が覗き込んだ伝説にちなんだ坂です。

京王線を踏切で渡る
府中5号踏切
すぐ右側に分倍河原(ぶばいがわら)駅
内藤家冠木門 旧本宿村の名主を勤めた
本宿町交差点  国道20号が右から合流
日本橋から32km

上高井戸宿の先で別れて以来の国道20号線。しばらくは国道をたどります。


2.本宿の一里塚

県道・国道 野球のエースナンバーが集まる地点
本宿交番前交差点
甲州街道の案内 おしゃれなデザイン
秋葉常夜灯
由来書

街道は、まず低地に整備されて沿道には集落が形成されます。
その後、川の氾濫や低湿地のぬかるみなどで、やや高い土地に付替えられ、集落も半ば強制的に移転させられます。
しかし、台地での生活では農作業に必要な水を得にくいという問題が起きてしまうようです。
街道往来は楽になっても、民衆の生活が困窮する、というジレンマ。それを乗り越えようと、「講」や寄合いの発生、治水技術の発達などが、進んだようです。

すでに歩いた街道でも、水難を避けるため付替えた区間がありました。
・ 東海道 原宿~吉原宿(静岡県)  浮島ヶ原(低湿地)
・ 東海道 吉原宿周辺(静岡県)  二度の高潮の襲来
・ 東海道 石部宿~草津宿(滋賀県) 草津川の氾濫
・ 日光街道 草加宿付近(埼玉県) 綾瀬川沿いの低湿地
甲州街道も、多摩川の氾濫を避けるために、江戸時代中期に付替えが行われ(=今歩いているルートがそれ)ました。

いったんここで現街道を離れ南へ約600m進み、古街道に向かってみました。

古街道は「御猟場道(おかりばどう)」の標示
西へ進むと正面には大きな工場が
NEC府中事業場

ある目的があり、ダメもとで声をかけると、守衛さん付添いのもとで、中に入ることができました!(お忙しい中、ありがとうございます)。
その目的はこれ。

本宿の一里塚 日本橋から八里目

古街道は、NECの敷地内を貫通して西に向かっています。
普段は見ることができない場所ですが、立派な一里塚と石碑が残されていることに、感激しました。

現街道へ戻る 低地から台地へ上り坂だ
現街道沿いにある本宿の碑
熊野神社の隣にある古墳資料館
石室が復元されているそうだ
JR南武線を高架橋で渡る

南武線は、多摩川沿いに川崎駅と立川駅を結ぶ路線です。


3.谷保

ラーメン店とハンバーグ店
国立市に入る
中央高速 国立府中インターへの分岐点

現在の国道20号は左に折れ、国立府中ICを経て西へ。街道は直進する都道256号をたどります。

獅子宿碑 谷保天満宮の獅子舞の稽古場
幕府の馬医者を勤めた本田家の門
「作業所通信」「本田家だより」

東京都指定有形文化財に指定され、門の向こう側ではかなり大掛かりな解体・復元作業が行われてました。2025年度中は工事が予定されているようで、一般公開されたらぜひまた来てみたいです。

本田家のとなりのエリアで、興味深い取り組みがありました。
「やぼろじ」 =谷保の路地

「やぼろじ」
街道から路地を望む

キーワードは、古民家再生、シェアスペース、子育て、農地、デザイン、アート、など。先の活動が楽しみです。

常夜灯
谷保天満宮

谷保天満宮。湯島・亀戸と並ぶ、関東三大天神に挙げられています。
菅原道真の三男が、亡き父を祀るために建て、父の像を彫ったまではいいのだが、その出来があまりにも悪く、野暮(やぼ)天と称されてしまったのが、地名の谷保の由来。学問の神様の一族らしからぬエピソード。
天満宮は、武蔵野台地と多摩川低地の崖線(=ハケ)を利用した立地で、ここから先は街道も多摩川低地に向かい下り坂となります。

振り返ると台地(左)と低地(右)がわかる
国立天神下郵便局
マンション一体型のお地蔵様群
甲府の表示が初めて出た 甲府まで101km

国立(くにたち)市の名前の由来は、中央線の国分寺と立川の間に設置する駅名に、両隣の駅名から一字ずつを繋げたというのは、有名な話。
読み方は「くにたち」なのですが、一瞬「こくりつ」と見えてしまうような表示もありました。

国立の幼稚園?
国立の農協?
国立の小学校?

近くに、東京都立国立高校や、実際に国立の一橋大学もあります。ややこしい。

国立市コミュニティーバス バス停
青柳地蔵堂 軒下で休憩

地蔵堂の前には遺構が集まっていて、休憩しながら観察しました。

青柳稲荷神社 鳥居と参道
元青柳村の常夜灯
馬頭観音

4.日野の渡し

立川市に入る

立川市は多摩地区中心の大都市ですが、甲州街道の宿場はなく、市域の南部を少しだけ通過するだけです。

日野橋交差点 複雑な標示だ

「甲州街道」は左折ですが、旧街道は右から2本目の「奥多摩街道」へ。

都道29号 奥多摩街道 へ入る
T字路を左折
T字路左折した先の案内標識を確認した
街道の風景 街路樹の切株が痛々しい
蔵のある旧家
立川市民体育館の脇を通る
旧甲州街道 案内板
「新奥多摩街道」を越える

下水処理場や資材置場の一角が、多摩川越えの「日野の渡し」の場所です。

日野の渡し碑
日野の渡し場 石柱

河原までは距離があり、正面に進めないので、迂回して対岸へ向かいます。

正面を右に折れて進む
次のT字路を左折
多摩川の堤道へ 階段を上る
堤道を右へ
東京賢治シュタイナー学校
左折 立日橋へ
立日橋を渡る 現代の「日野の渡し」
橋の上を走る多摩都市モノレール
多摩川の流れ 下流を望む
橋詰を左へ
日野市に入る
多摩都市モノレール
堤道上の「日野渡船場跡」案内板
案内板

多摩川の渡河は、江戸時代初期の古甲州街道では、約2km下流の「万願寺の渡し」を通るルートでした。1684年に街道のルートが再整備されて、ここ「日野の渡し」が新設されたということです。
ちなみに、江戸から九里目にあたる「万願寺の一里塚」は古街道上にあり、ここでは寄道せずに日野宿へ向かいました。

日野宿内にあった案内板 新旧ルートがわかる
同じく、かつての日野渡船場の写真
右側 下へ降りる道に入る
立日橋の手前を左へ
立日橋南交差点を右へ

多摩川を渡ると、日野宿はすぐです。


5.<第十番>日野宿

日野市は新選組副隊長の土方歳三のふるさと
農業用水だったと思われる 今は住宅地の川
日野宿の東口 「東の地蔵」と馬頭観音
新奥多摩街道交差点を右折 日野宿へ
中央線沿線でよくみかける広告
旧日野銀行 もとは土蔵造を洋風外観に改修
明治初期の甲州街道沿いの風景
川崎街道との分岐
高幡不動尊への道標

日野宿には、都内で唯一残る本陣建物があります。今回は時間がなく、残念ながら内部見学は別の機会にします。

日野宿本陣 12:35着
書院造の建物の先に庭園が見える
説明板
日野宿の街道沿いは古い写真が展示されている
本陣の向かい 日野宿交流館
問屋場・高札場跡の碑
宿場町の風景
日野駅前郵便局と旧渡辺家
まちかど写真館inひの

こういう取り組みは、いいですね。

GSの片隅に残る欄干
八坂神社
旧道は右の細道を進む
旧道のルート図
正面T字を左へ
T字角にある「上宿の辻公園」
都道を横断
日野駅東交差点を直進
臨済宗宝泉寺 門の背後の大木が立派
中央線日野駅
通称「西の地蔵」 日野宿の西口
説明板
旧道は線路の向こうの建物へ続く

中央線により分断されて通行不可のため、来た道を引き返します。

日野駅東交差点を右へ
国鉄型185系の臨時列車と遭遇 珍しい
JR日野駅舎
中央線をくぐり一つ目の角を左折
このあたりで左側から来る旧道と合流

大坂という坂を上り、日野宿を抜けて進みます。
次は八王子宿。

府中宿→日野宿
 距離 9.3km
 所要 2時間20分(休憩除く)


<番外> 万願寺の一里塚

「4.日野の渡し」で少し触れましたが、古甲州街道沿いにある「万願寺の一里塚」。
この日の行程を終えた後、帰宅する途中で(夜8時過ぎ)立ち寄りました。

多摩都市モノレール 甲州街道駅で下車
徒歩10分ほどで到着 北塚と木が残る
説明板

夜景にもくっきりと分かるほど、堂々とした塚と木が印象的でした。

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