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#52 相手の「1言」良い悪いは自分の心次第

相手の「何気ない1言」が、癇に障ってしまうことがありませんか。
例え、それが自分に対しての「気遣いの言葉」だとしても-------

少し内容が難しいから、ゆっくり時間を掛けてやっていいよ

誰からの、どのような要件かは失念しましたが、それまでの仕事や時間に追われていた私でしたら、とても「有難い言葉」ですが、その当時の私は「無職」であり、(無職だから時間あるだろう)と見下されていると捉えてしまいます。

悪気があって言ったわけではないことでも、こちらが余計な解釈をしてしまうと、途端にそれが悪意に満ちた発言に受け取れてしまうことがあります。

余計なトラブルを生まないためには、物事を客観的な事実と受け止めるようにすることが重要になります。

小林奨著『「なぜか許される人」がやっている24の習慣』より引用

30代半ばのころ、会社が「希望退職者」を募集しました。当時は、仕事に嫌気がさしており、真っ先に「希望退職」に応じます。

勢いで飛び出したので、「無職期間」が長くなり、当初は余裕だった私も次第に、「長引く無職期間」に焦りや不安感が増していた時の言葉でした。

客観的に考えれば、内容が難しいので「気遣いの言葉」でしょう。いや相手の性格から間違いなく気遣いです。

この「気遣いの言葉」に無職に引け目や焦りを感じていた私は「イラッ」としてしまいます。

同じひとつの物事で「あっても、その人がどのように解釈するかによって、受け取り方は大きく異なります。

その時、相手の言動などに”余計な解釈”を加えてしまうと、怒りやストレスの原因にあることがあります。

小林奨著『「なぜか許される人」がやっている24の習慣』より引用

自分に自身のない私は、このような「余計な解釈」を付け加え相手に対し「イラッ」とし「馬鹿にされている・見下されている」と感じ、ますます「人」を避けて行ったのかも知れません。

逆に、こちらは良かれと思って言ったことでも、なぜか相手が「不満そうな顏」をしていることがあります。

相手が何気なく言った一言でも、こちらが誤ったかたちで「解釈」してしまうと、途端にその人物が嫌な人に思えてきたり、イライラする相手に見えてしまったりすることがあります。
~(中略)~
そうした関係を立て直すには、まず相手の言動をどのように受け取っているのか、冷静に考えてみることです
そして言動の受け取り方を理解したうえで、相手と接するようにすると良好な人間関係をきづくことができるはずです。

小林奨著『「なぜか許される人」がやっている24の習慣』より引用

一方で、「優しそうで好感あるよ・穏やかで話やすいよ・まじめで信頼できるな」このような「嬉しい褒め言葉」ですら「ヘラヘラして堅物な融通が利かない人間」「余計な解釈」を付け加え、相手と距離をとってしまう私もいました。

もちろん、その言葉には社交辞令の要素も含まれているかもしれませんが、その言葉を「素直」に受け止めることで、築かれるはずだった「良好な人間関係」ですら、自ら手放していたのかもしれません。

せっかくほめたのに、他者と比較して自分を卑下したり、自分のダメな理由をいろいろ言わないと気が済まない人は結構います。

それはつまり、ほめ言葉に対して「あなたの言っていることは間違っています!私は称賛に値しない人間です!」と全力で否定しているのと同じなのです。

このような人は、ほめるどころか気軽に話しかけにくくなり、何が地雷なのかもわからないので、近寄りづらくなります。

松橋良紀著『「一生の自信を「一瞬」でつくる本」より引用』

人間関係には「非言語的コミュニケーション」も重要と言われています。言葉以上に「表情・仕草」で相手に「自分の本心」は伝わると言われています。

「余計な解釈」を付け加えようとしている時は、「良好な人間関係」を気づく前に、相手に「非言語的」な方法で自分の気持ちが、伝わっているのかもしれません。

「全ての人に好かれることは無理」とは言え、少しモヤモヤ感を感じる相手も、まずは「自分の受け取り方」を考え接してみることも、本当に自分と合う人と出会うための「ステップ」なのかもしれませんね。

#53「生きづらさ」を感じたら!はこちらから

引用させていただいた「本」


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