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#54 2つ以上? 他人への「期待」の数に隠された背景

とある仕事帰りの夜に、ありがちな「夫婦喧嘩」をしました。「こっちは家のために仕事して疲れているのに、呑気にパソコンで、ネットしているんだ」その後の展開は、もう想像がつきますよね。

ふと我を取り戻すと、パソコンの向こうには、洗濯物が干してあり食事も用意されています。

人は自分が他人にしてあげたことは良く覚えていて、人にしてもらったことは忘れてしまいがちです。
 
いろんな人に助けてもらったのに、自分ばかりが与えている気分になる。
 
「受けた恩は石に刻め。かけた恩は水に流せ」という心構えでいたほうが、素直な気持ちで爽やかに与え続けられるのではないでしょうか。

有川真由美著『私を苦しめてたのは、「素直じゃない私」だったかもしれない。』より引用

これは、夫婦間だけでなく、すべての人や会社・コミュニティなどでも言えそうです。

よくよく振り返ってみれば、友人は話を聞いて遊んでくれるし、会社は面倒な手続きを変わりにしてくれる。

このような「感情」を、様々な人や組織に私は抱き、そこから「勝手に人間不信」になり関係が、ギクシャクすることが多かったようです。

みなさんも、こんな思いを抱くことはありませんか?

例えば---

  • 「SNS」いつも自分だけ「いいね」しているのに、相手からは来ない。

  • ブログを読んでいるのに、相手は全く読んでくれない。

  • 毎年「誕生祝い」送っているのに相手からはこない。

  • いつも、誘うのは自分からで、相手は誘ってこない。

いろいろ、あるのではないでしょうか。

「ギブ&テイク」自体はまったく悪いことではありませんが、最初から「ギブ&テイク」を期待するのは危険です。
 
「テイク」を期待した時点で、それは”自分の問題“ではなく、”相手の問題”になってしまいますから。

「私はこんなにやっているのに」「なにもしてくれない」「私だけ損をしている」と損得勘定の思考に陥り、不満がたまるでしょう。

有川真由美著『私を苦しめてたのは、「素直じゃない私」だったかもしれない。』より引用

このような「感情」を抱くのは、結局のところ「相手からの見返り」を期待しているのかもしれません。

先程の例えは、数年前までの自分の「感情」ですが、今でも少し出てくる「感情」です。

「みなさんも、こんな思いを抱くことはありませんか?」と尋ねるのも、「自分と同じ価値観」で世界が回っていると思ったからこそ出てきたフレーズなのかもしれません。

他人への期待を捨てるということは相手を尊重し、伝わらないということを前提にコミュニケーションすることが大事だということです。
 
他人には他人の事情があるし、他人の価値観で生きていて当たり前で、価値観が多様化しているならばなおさらいろんな考え方があります
 
ただ付き合いが長くなってくると、相手と自分が同じ価値観で生きているように感じるようになってきて相手への期待を大きく持ちやすくなってしまいます。

塚本亮著『捨てる。だからずば抜ける』より引用

「他人と自分」が同じ世界観で生きていると思い、今まで生きてきたことが、私の心が疲れてしまった原因のようです。

「他人への期待を捨てる」思いもよらない発想でしたが、他人へ期待することは「価値観」「行動」の押し売りなのではと私は感じました。

どこまでいっても、他人は他人です。

他人の期待に応えようと頑張る人は、心理的には相手に好かれたいという気持ちや嫌われたくないという気持ちが働いています。

塚本亮著『捨てる。だからずば抜ける』より引用

「他人への期待を捨てる」ことで、「自分らしい表現」や本当の自分を「自己開示」ができ、「相手に好かれたい・嫌われたくない」この「感情」を手放すことが出来そうですね。

#55「生きづらさ」を感じたら!はこちらから

引用させていただいた「本」


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