見出し画像

#33 真逆の2人の信念の捉え方「信念と人間関係のジレンマ」

相手が、喜んで褒めてくれると、とても嬉しいですよね。喜んで褒められるために、自分の心とは「正反対な行動」をしてしまうことはありませんか。

わたしは、「断る勇気」がなく、根底には「人に嫌われるのが怖い・断ることで関係性にひびが入る」そんな思いが、頭を支配していました。

相手を喜ばせたい、安心させたいというのは「自分主体」ですが、「嫌われないため」というのは、「他人(相手)主体」だからです。
「嫌われないため」を原動力に自分の行動を決めていると、相手の意思をおしはかることが自分の人生の中心になってしまい、いずれ心がつぶれてしまいます。

ともえ作・絵 根本裕幸監修『疲れたら休めばいい、ということが何故こんなにもヘタクソなのだろう。』より引用

ある集まりに「参加依頼」がありました。正直、こころが動く集まりではない上に、「趣味」のイベント日でもあり、断りたかったのですが、頭の中に「断ることで関係性にひびが入る」という「思い込み」が、沸き立ち「参加」の意向を伝えました。

当然ながら「主催者」は、喜んで褒めてくれますが、嬉しい反面なにか「モヤモヤ」します。

自分がない人ほど褒められると嬉しい。そして褒められると嬉しい人ほど
批判されることを恐れる。嫌われるのが怖い。
では「自分がある」ようになるためにはどうすればいいのか?
まず何よりも「楽しい」ということを探すことである。

加藤諦三著『誰にでも「いい顏」をしてしまう人』より引用

一方で、その「主催者」と、もの凄く仲のいい、1人が「参加」を断っていました。

こんなに仲のいい、「主催者」の集まりを、「断る用事」は何だろうと思い、後日その方の「SNS投稿」を見ると、満面の笑みで、「自分ひとり時間」「趣味の成果」をアップしています。

その「SNS投稿」に、仲のいい「主催者」の、成果を「絶賛するコメント」がありました。

逆にわたしは、「興味もない集まり」は、楽しいはずもなく、疲弊し、その集まりの様子を「SNS投稿」したにも関わらず「主催者」からは「ノーリアクション」です。

本当は行きたかった「趣味イベント」へ参加した人の「SNS投稿」を見て、落ち込んでいました。

楽しいことは自分がすきなことをしている時である。
人の期待に応えようとして、していることではない。
人の期待に応えられなくても楽しいことは楽しい。

加藤諦三著『誰にでも「いい顏」をしてしまう人』より引用

自分の行きたい「趣味イベント」を諦めながら、いやいや「参加」しているわたしと、自分の大切にしている「価値観」で、いきいきと、その日を送っていた人、どちらも嫌われることはありませんでした。

その方にとっては、なによりも、自分の「価値観」で選んだ「行動」こそが「大事な用事」だったのです。

「全員に好かれなくてもいい、嫌われることを恐れるな」というのは、「わざわざ嫌われるようなことを自らしろ」という意味ではありません。
自分の大切にしているもの、つまり「信念」を他人のために曲げなくてもよい、ということです。

ともえ作・絵 根本裕幸監修『疲れたら休めばいい、ということが何故こんなにもヘタクソなのだろう。』より引用

わたしには、「楽しい事(趣味)」もありますし、自分なりの「考え方(信念)」があるのに、その「大切にしている価値観」を、投げ出してまで、「相手の期待に応えるためだけの行動」をし、「生きづらさ」を、増やしていたのかも知れませんね。

みなさんの大切なもの(信念)は何ですか?

その「大切なもの(信念)」を基準に、「行動」を選択していけば、モヤモヤ感は、減少するのではないでしょうか。

自分の「信念」で選択した「行動」で、離れていく人には、逆に嫌われた方が、幸せなのかもしれませんね。

#34「生きづらさ」を感じたら!

引用させていただいた「本」


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?