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#44 「お誘い・依頼」を断れなかった「2つの要因」

様々な「お誘い・依頼」が、日々くるなか、みなさんは、「参加可否」を、どのように「決断」していますか。

わたしは、以前から「お誘い・依頼」を、断るのが、とても「苦手」でした。

根底には「断ることで嫌われたら」そんな、なぜか「人から嫌われる」のを、極度に恐れる「性格」も要因ですが、「引用本」から気付いた「2つの要因」も、影を潜めていたようです。

  1. 相手の期待に応えることで得る「自己満足」

  2. 期待に応えることでの「見返り意識」

この考えで「参加可否」を決めることで、「意味のない自己満足」に浸って「見返り」を期待する「自分」になり、そんな自分が、嫌になり、疲れ、勝手に「人間不信」に、なって「人との交流」を、避けてきてしまったようです。

だれかのためにと思って取った行動も、結局は自分を犠牲にしてだれかのために何かしたいという己の欲望を叶えてるいるにすぎない。
~(中略)~
見返りがなくても納得できる無理のない範囲で他人に親切にすればいいし、見返りを求めての行動であるならそれはもう投資案件だ。

テストステロン著『ストレスゼロの生き方』より引用

自分の「興味・関心」のあることや「内容」なら、「相手の期待」ではなく、「自分の期待」になり、相手に対して「協力したあげた・応援あげた」そのような「自己満足」の感情は出ませんし、楽しい時間を得るので、「見返り」など、考えもしませんよね。

そこで、自分が「お誘い」に参加しようか「躊躇」している時は、「自己満足」そして「見返り」を、期待しているのではと、「一呼吸」おく事にしました。

はたして「一呼吸」おくことで、断れるのでしょうか。沸々とあの考えが浮かんできます。

断ることで嫌われるのでは-----

別にあなたは、だれかの操り人形になる為ために生きているわけじゃないだろう。
~(中略)~
あなたにはあなたの人生があって、他人には他人の人生がある。
自分の行動はすべて自分で決めていい。

テストステロン著『ストレスゼロの生き方』より引用

勝手なもので逆に「自分のお誘い・依頼」に、いろよい反応がないと、落ち込んでしまう「自分」もいました。

それぞれに「自分の人生」が、あり「自分の行動」を自分で決めているんだ、そう思えたことで、落ち込む自分も少なくなりました。

とはいえ、「興味・関心」がないと全てを、断っていたら、「今」ある世界から、抜け出すことも「成長」することも出来ませんよね。

極端な例ですが、「海の見える場所に住みたいな~」と思いながらも「湘南」の存在を知らない人は、「そうだ、湘南に住もう!」という考えすら起きず、いきなり沖縄に移住するかもしれません。
「知る」ことは、選択肢を増やすことであり、それによってはじめて選ぶことができるようになるんです。

いしかわゆき著『ポンコツなわたしで、生きていく』より引用

そこで、「相手からの見返り」を期待するのではなく、「自分から見返り」を、探して「選択」することにしました。

相手の期待に応えるために「参加」するのではなく、見返りは、自分で探して先に受け取ることにするのです。

ある知人が、自分の「趣味」を通じて、「オンライン会」を、開催することになりました。その「趣味」に私は全く無知ですし、現状では「興味・関心」が、ありません。それでも、わたしは「参加表明」しました。

自分が探しだした「見返り」は、「オンライン会運営の参考になる・知らない話題での雑談トークの練習になる」、もしかしたら、その内容が好きになり人生の「選択肢」が増えるかもしれません。

もし、本当に心から誰かと仲良くなりたいと思うのなら「嫌われたくない」という気持ちは一度捨てて、変に取り繕わずに、話してみるといいんじゃないかな。
「好かれようとしない」とまず決めてみると、ありのままの自分で向き合うことができます。
ありのままの自分で築いた人間関係は、きっと心地いいはずです。

いしかわゆき著『ポンコツなわたしで、生きていく』より引用

一方で、「ただ騒ぐ会」は、断りました。以前なら、嫌われたくないと「参加」していたでしょう。

現実は断ったことで「嫌われる」こともなく、「自分の時間」を、失わずに済みました。

自分の時間を大切にし、新しい世界と出会うためにも、自分から「見返り」を探してみては、いかがでしょうか(笑)

#45「生きづらさ」を感じたら!はこちらから

引用させていただいた「本」


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