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#29 1枚2枚「写真」で見える「自己意識」の差

まさか自分が「自己中心的」な考えを、持っているなど、考えてもみませんでした。

「人の目を気にする性格」ゆえ、自分では「空気を読んでいる」つもりでした。

人目を気にする人は、自分では謙遜しているつもりでも、実際は尊大な気持ちになっています。

なぜなら「みんなが私に注目している」と思っているのですから、あたかも、自分が世界の中心であるかのように思い込んでいるのですから・・・

根本橘夫著『「気にしない」のもやもやが消える方法』より引用

ある時に、一緒に出掛けた「鉄道マニア」友人は、人の目を気にしない性格です。

「珍しい列車・光景」の場面では、ホームや車内で、誰がみていようが右往左往しながら、目を輝かせて、動きまわっています。

一方で、わたしも、筋金いりの「鉄道マニア」ですが、一般的には、奇異に見える「鉄道マニア的な行動」をすると「みんな自分に注目している」と考え、大人しく座っています(本当は同じように右往左往したいのに)。

昨今は、他の乗客に迷惑をかけ、思う構図で撮影できず罵声をあげる、「真の自己中心的」な、人たちもいますが、友人は「常識的な範囲」で、右往左往しているので、誰に迷惑をかけるのでもなく「今」を楽しんでいます。

人はみんな、それぞれの生活があり、あなたが気にするほどあなたに気を留めているはずがないのです。
~(中略)~
いちばん、あなたを気にしている人は、あなた自身です。あなたほど、あなたを気にしている人はどこにもいません。

根本橘夫著『「気にしない」のもやもやが消える方法』より引用

乗客たちは、友人の行動を「チラッ」とは、見ますが、その後気に留めている様子はありません。

旅から帰り、一緒に写真を見返していると「人の目を気にせずに撮影」した友人の写真は、「楽しさ・躍動感・構図」、何もかもが、私の「写真」とは違い輝いています。

「人の目を気にした旅」をした私と、「人の目を気にせずにその瞬間を楽しんだ友人」とでは、旅の「満足度」が格段に違うようです。同じ時間と、お金を使ったはずなのに。

さらに言えば、ほかの人から見られても、何も困ることはありません。

恥ずかしいことが起きても、身体的苦痛や障害を受けるわけではなく、恥ずかしさには何の実害もないのです。

自分で勝手に傷ついて、勝手に心に重荷を抱えているだけなのです。

根本橘夫著『「気にしない」のもやもやが消える方法』より引用

「旅の恥は掻き捨て」と言う「ことわざ」も有りますが、生涯もう二度と、会うことが無い人の目さえ、気にして私は「今」を楽しんでいなかったのですね。

みなさんは、いかがでしょうか。

例えば、1人カラオケ・1人焼肉・1人バスツアー、「どう思われているのだろう・みんなが私に注目するかも恥ずかしい」などと考え、さまざまな「行動」を躊躇していませんか。

とは言え、「人の目」を、いきなり気にしない「行動」を、するのも難しいので、まずは、「旅先」で、もちろん、迷惑行為にならないように、注意しながら自分の満足する「鉄道マニア的行動」を、してみました。

結果は、満足度も写真のクォリティーも、全く別のものでした。

#30「生きづらさ」を感じたら!

引用させていただいた「本」


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