「医療スタッフの力を拡張する」英国医療のVR戦略とは?―松村雅代の「VRは医療をどう変える?」(3)

https://medicalai.m3.com/news/190712-series-matsumura3
※本記事は、2019年7月12日(金) m3.com AIラボ公開の記事になります。

第3回目の今回は、英国の国を挙げた医療分野におけるVR(を含むXR)戦略についてお伝えします。特長は、「VR導入による医療サービスの効率化」を重要な要素の一つとして明確に掲げていることです。VRが新たな付加価値を持つ最先端サービスとして位置付けられる米国等と比べると地味に感じられるかもしれませんが、途上国での覇権をも確実に狙う、したたかな戦略です。「5つの視点」、1. 英国、2. 医療従事者、3. VR、4. 救急医療等、正確で迅速な医学的な判断を求められる領域 5. 医学教育(トレーニング)、という観点でお伝えします。

[英国医療のイメージは「硬直化したシステム」]

英国の医療は、保健省の下で国営のNHS(National Health Service、国民保健サービス)によって運営されています。NHSは健康・医療に関する事業を提供する組織機関で、その財源はほぼ公費で賄われており、国民は経済的な支払い能力にかかわらず利用が可能で、眼科、歯科、処方箋以外は基本的に無料です。

医療機関のほとんどがNHSの管轄下にあり(民間病院は極めて稀)、NHS病院の受診にはGP(General Practice、総合診療医)の紹介状が必要です。GP受診にも登録が必要で、希望するGPの登録数が許容量を超えている場合等は登録を拒まれることもあります。病院受診を希望しても、GPが必要ないと判断した場合、病院受診ができない場合もあります。

英国の医療体制に対する私のイメージは「硬直化したシステム」でした。それは、2000年米国医療ベンチャーに勤務していた私(医師となる前)が、英国に出張した際のエピソードに根差すものです。英国の同僚がNHS病院での待機時間があり得ないほど長くなっている、と嘆いていました。GPでがんの可能性を指摘されNHS病院を紹介されたが、病院受診まで1年待ちと言われるような状況となっているとのこと。米国の同僚によると、迅速な治療を求めて英国から米国の病院を受診する人数が激増している、という話でした。

[デジタル技術は医療スタッフの仕事を奪うのではなく、その力を拡大する]

こんな私のイメージを一変させたのは、NHSが2019年2月に発表した報告書、“Preparing the healthcare workforce to deliver the digital future” (https://topol.hee.nhs.uk/…/uploads/HEE-Topol-Review-2019.pdf)でした。2040年までに医療スタッフの働き方に多大な影響を与える10のデジタル技術をピックアップ。VR(XRを含む)は6番目に取り上げられています。デジタル技術は医療スタッフの仕事を奪うのではなく、むしろ医療スタッフの持つ力を拡大すると明確に伝え、積極的なデジタル技術の導入を推進する内容となっています。驚かされたのは、この報告書の内容が、既に実践してきた政策の成果に裏付けられているという事実です。NHSはデジタル技術を活用する医療ベンチャーを自ら発掘し育成するシステムを持ち、成果を上げているのです。

まずは、2015年に始動したアクセラレーター・プログラム、NHS Accelerator Program (NIA)です。2019年のNIAに採択されたVirti社(https://virti.com/)は、VR、ARとAIを活用した、心肺蘇生等の救命救急トレーニングプログラムを医学生や医師、医療機関や企業等に提供しています。このプログラムは、ユーザーの手技を評価し、改善点を指摘する機能があり、ユーザーは自身の手技に自信を持って、現場で処置を行うことが可能になります。また、トレーニングの費用も従来の方法に比べ、大幅な削減が可能となると言います。NIAを通じ、同社のサービスは150万人超の従業員(医師等医療スタッフ、事務スタッフ)を抱えるNHSの組織全体に整備される予定です。

興味深いことに、Virti社は、「メンタルヘルス」部門での採択となっています。2019NIA brochure(https://nhsaccelerator.com/wp-content/uploads/2019/03/Introducing-the-NHS-Innovation-Accelerator.pdf?fbclid=IwAR3im6WtXVORJ9yJXiwEXBbhEnSzaZns6qEfWNMso-ZErLOcaAiQJPETmRw)では、採択理由が「正確な処置が求められる救急救命の現場では、医療スタッフの不安やストレスが大きい。エビデンスに基づいた評価機能のあるトレーニングを活用することで、自信を持って任務にあたることが出来る。」と記載されています。
(中見出し)費用対効果の高い、若手医師向けVRトレーニング

2016年に設立された、NHSのClinical Entrepreneur Training Program (https://www.england.nhs.uk/ourwork/innovation/clinical-entrepreneur/)。NHSで臨床研修中の医療スタッフが対象です。2019年に採択されたOxford Medical Simulation(OMS)社(https://oxfordmedicalsimulation.com/)は、医学的な判断を求められる独自のシナリオ60以上を搭載するVRトレーニングを提供しています(例:糖尿の急性代謝失調に対する、救急外来での対応等)。シナリオは医療機関ごとに個別化が可能で、個々人のトレーニング内容は全てログ化され、タイムスタンプが付与され、更にベストプラクティスにリンクされるので、ユーザーは適切なフィードバックを得ることが可能です。

同社のトレーニングVRは、2019年8月からイングランド東部の18医療機関で若手医師のトレーニング用に導入される予定です。メリットとして強調されているのは、質の高さよりも、従来の医療用マネキンを使ったトレーニングと比較した費用対効果の高さです。同社幹部は「医療用マネキンが導入されていない中東・アフリカへ一気にサービスを広げたい。」と語っています。

NHSは自身のメリット(コスト削減やスタッフ教育等)につながるサービスを提供するスタートアップを採択し、NHSの医療機関と医療スタッフを対象に採択企業のサービスを一気に広めています。採択企業にとっては、自社サービスが英国内でデファクトスタンダートになり、海外展開への足掛かりを得やすくなるというメリットがあります。更に、NHSの関心事である、サービス導入によるコスト削減を意識することで、発展途上国におけるLeapfrog現象(世代をいくつか飛び越えて一気に最新のテクノロジーが社会に普及すること)を牽引するという戦略も可能になっているようです。


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