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双極性障害(躁鬱病)持ちの序章(1)
昨年の2月、心療内科にて双極性障害Ⅱ型との診断を受けました。いわゆる躁鬱病です。
正直その診断にはびっくりしました。自ら鬱の自覚はありましたが(それもうつ病ではなくうつ状態という診断でした)、躁の自覚は全くなかったからです。
双極性障害にはⅠ型とⅡ型があります。違いはⅠ型は極端な躁(他人が見てもおかしいと分かるほどハイすぎる)、Ⅱ型は軽躁(他人には分かりづらい、あるいは全く分からない)と言うこ
双極性障害(躁鬱病)持ちの序章(2)
なぜこのことを書くのにnoteを選んだのか。私事ではありますが少し書かせて頂きます。
私は今までとても恥ずかしいことをやってきました。それによって人間関係、あるいは社会的信用、そして財産。とても大切なことをとても損ねたり失ったりしてきました。
もちろんそれが躁ゆえ(あるいは鬱ゆえ)仕方ないと免罪符になるわけではありません(言い訳はしたくない、と書きたかったのですが言い訳にしてる心の奥底にいるリ
双極性障害と診断された私(1)
それはある年の2月のことでした。
その前の年の11月、私はあるコールセンターにて夜勤の仕事を始めました。今考えるととても無謀なことでしたが…
なぜ夜勤にしたかというと、私には要介護1の少し面倒を見てやらないといけない母親と同居していたので、昼間は母親のために家にいてあげた方がいいと考えていたからです。
父ももちろん手伝ってくれたのですが、、、なんというか、、、母の行動一つ一つにチェックを入れては
双極性障害と診断された私(2)
ふらふらになりながらも何とか病院にたどり着き、多分切々とつらさを訴えたんだろうと思います。急に体が凍り付いたこと、父が私に容赦ない言葉を浴びせてきたこと、など色々と。
そうすると先生は私には予想もしなかった病名を呟きました。
「鬱病じゃなくて双極性障害かもなぁ…」
それは想像もしていなかった病名でした。その時に双極性障害が躁鬱病であるということも知らなかったかもしれません。病名が変わったと言う
競馬にハマリ始めた頃のお話
まずは時効ですが、、、下記については一部法律違反です(笑)
現在は20歳になれば学生でも馬券は買えるようになりましたが、当時は20歳でも学生は馬券購入は禁止されてましたから。
私は高校時代男子寮で過ごしていました。
そうするとおませな奴らが煙草吸うような感覚でスポーツ新聞の競馬欄とにらめっこしてるんですよ、寮監に隠れて。ちょうどオグリキャップ全盛の頃だったと思いますね。もちろんパチンコにはまって
本格的にギャンブルにはまっていく…どろどろの日々
転機は大学から実家に帰って数年後に訪れます。
大学中退後、私はある船舶関連会社に就職します。そこでは個性豊かな(ほんとに個性豊かな)人間が集まり、楽しく仕事をこなしていました。今思えば一番真面目に楽しく仕事をしていた頃かもしれません。鬱症状も「そんなには」発生しなかったと思います。
そして、就職して2年位経った頃、ある人との出会いが私を変えたのです…
それは別の営業所にて勤務している方でした
風俗に初めて入った日
初めて風俗に行ったのは20年くらい前だと思います。名前も場所も覚えてないし(もうないと思いますが…)古~いビルの地下1階にあるいわゆるピンサロでした。これも一人で行っています(なぜかこういう勇気だけはあるのです)。
私は大学は北海道でした。 ー 中退しました(^_^;) このエピソードもその内紹介します ー 札幌にはすすきのという一大歓楽街がありましたが、当時まだうぶな私は大学時代は風俗に行くこ
双極性障害と風俗・ギャンブルの関係?
前の2つの記事で、単に今まで風俗やギャンブルにどのようにハマっていったかを書いてきましたが、落ちついて考えればこのマガジンは「双極性障害と生きた日々」というタイトルですので、ここではタイトルの通り、今までハマってきたものと双極性障害と関係があったのか、と言うことを紐付けたいと思います。
基本的に躁状態(特にⅠ型)だと下記症状が現れると言われています。
自分が偉くなったように感じる
いつもよりお
閑話休題~双極性障害で良かったこと?
双極性障害、今一応はまともに(軽躁かもだが?)生活を送ることができている私として(無職ですが…)、何を最も恐れているかといえば…
鬱に転じることもう、これに尽きます。
鬱転したときの辛さ。もう想像を絶する辛さです。
今回は初めて自分が躁を自覚しているので、ここで多大なエネルギーを使い果たして鬱になったとしたら…恐ろしい…
しかも鬱の時は自分を責めますからね。
「鬱になったのは病気のせいでは