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柳田國男 「清光館哀史」

石炭をば はや積み果てつ…    「舞姫」 森鴎外

雪のいと高う降りたるを 例ならず 御格子参りて…    「枕草子」 清少納言

おや、月見草。    「富嶽百景」 太宰治

あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや君が袖振る  額田王 「万葉集」

…  …  …

中学・高校時代の国語で出会った文学の一節が、ひょいと思い出されることがある。

過日、新聞に、"ナニャドヤラ" という東北地方に伝わる盆踊りに触れた読者の投稿を見た瞬間、柳田國男の「清光館哀史」を思い出した。

この教材を鮮明に覚えているのは、先生がとりわけ熱を込めて扱っておられたこと。多分、先生が大好きな題材だったのではないかと、今になって思う。

実際に録音された歌まで聴かせて下さり、今でも口ずさむことができる。

現在YouTubeで見ることが出来るいくつかの"ナニャドヤラ"は、私の記憶している旋律とは少し違う。出どころは同じでも、各地域で、独自の発展をしていったのだろう。

盆の季節、岩手県九戸郡小子内の漁村で、柳田が一夜の宿をとった清光館は、親切な若夫婦と母親で営む小さな鄙びた宿だった。夕食後、勧められて、盆踊りを見に行く。

夕暮れと共に、女たちが着飾って集い、歌い手に合わせて踊っている。歌詞に耳を傾けるが、なかなか聞き取れない。ようやく3節ほどの歌詞の繰り返しを聞き取って、近くで眺めていた村人に意味を尋ねるが、皆一様にはぐらかす。あるいは「知らん」、と素っ気ない。

土地の人にさえ意味の定かでない、諸説ある、謎めいた歌詞の意味と由来に、柳田はひとつの仮説を立てる。

ナニャトナサレノウ ナニャトヤレ

柳田の解釈…

何なりともせよかし どうなりとなさるがよい

遠くに働きに出て盆に戻らない者もいる男たちに向けての、女たちの恋歌というのである。

素敵だな、と思った記憶がある。

あるいは、暮らしの厳しさに倦み苦しむ農民達の、為政者に対する諦念の吐露、でもあると。

旅の6年後、柳田が再訪した時には、すでに清光館は取り壊されて更地になっていた。これについても、人々は口を濁していたが、海難事故で、若き主人が亡くなり、宿は廃業、女将は子供2人を親戚に預けて働きに出、家族はバラバラになったことを知る。

思い出深い宿が、なくなる寂しさは、ずっと後になって私自身もいく度か味わったことで、読み返すと、いっそう染み入る。

🏔…鳥海山の山旅の帰途、投宿した肘折温泉の「葉山館」。次に予約を入れようとした年の初め、雪下ろし中の事故でご主人が亡くなり、女将は去り、廃業したと知る。今は更地に。

山旅の同行者たち、湯治で投宿の部屋に招き入れてくれた寒河江のさくらんぼ農家の人たち、働き者のご主人…いつまでも忘れ難い、お宿である。

            📚

「痛みがあればこそ、バルサムは世に存在する」

厳しい暮らしの日々を送る女たちが、年に一度、盆の夜、夜がふけるまで踊り続けて、日頃の秘めた思いを放出する。翌朝は何事もなかったように、いつもの仕事に勤しんでいる。踊りは女たちにとってバルサム(香料・医薬)となる。

歌の意味を問うても、周りで眺めていた男たちが皆、一様に「分からん」と答えなかったことも、翌朝の女たちが、問われてもただ笑うのみだった訳も、2度目の来訪で柳田は納得する。旅人には到底思い至らない、言い尽くせない"痛み"。

改めて、清光館哀史が収められている「雪国の春」を読んでみた。高校の授業で読んだのは、ほんのさわりだった筈だが、柳田の言わんとすることは、的を外さずちゃんと生徒に伝わっていたんだ、とびっくりする。

このような、地味だけれどしみじみ深い紀行文を、高校生の教材として選び、読書へ誘ってくれた編集者も、熱を込めて講じてくれた先生も、改めて有り難いと思う。










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