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私の好きな言葉。ある夏の日の空と共に。

私は「行雲流水(こううんりゅうすい)」という四字熟語が好きだ。国語辞典によれば意味は次の通り(明鏡国語辞典 携帯版(大修館書店、2003年)より)。

とどまることなくさまざまに移り変わることのたとえ。また、物事に執着することなく成り行きに身をゆだねることのたとえ。
▶︎空を行く雲も流れる水も自然の動きに逆らうことはないの意から。

「行雲流水」との出会い

小学生の時に通っていた習字教室。普段は毎月の文字が決まっていてそれを先生のお手本通りに書く練習をする。毎週1回1時間ほどの教室。月に4回そこに行きひたすら同じ文字を半紙に書いては先生に直してもらう。また自分の席に正座して硯に向き直り、良いのが書けたと思ったら先生のところに行く。なんとまぁつまらないけれど、親が行けというから仕方なしに通っていた。

唯一の楽しみは年に一度のコンクールの作品を考えること。コンクールだけはめいめいが何か好きな言葉を選んで書く。3年生までは二文字を半紙に。元気とか笑顔とか当たり触りのない言葉。つまらなかった。
4年生になってようやく憧れの長い和紙(なんと呼ぶのだったか)を使わせてもらえることに。そこにやっと四字熟語を書ける! さて何にしよう。先生に借りた四字熟語辞典をワクワクしながらめくる。目を皿のようにしてピンときたのが「行雲流水」という言葉だった。
「これがいい! せんせー、どんな意味?」と訊き、その答えを聞いてますます気に入った。

私のつまらなかった習字教室の思い出の、ほとんど唯一と言ってよい楽しい一日だった。

大人になって病気になった今、この言葉を思い出して

病気になって、いつのまにか生きる意味を探していた。探す必要のないものを探して、見えないものを見ようとして、無意味なことに力を注いで自分を見失いかけていた。
そんなときある人から「花は紅、柳は緑」という言葉を教わった。行雲流水に通じる言葉だ。その人との出会い、その言葉との出会いで、大事なことをーー考えなくてもよい、ありのままでいいのだといいのだということをーー思い出させてもらった。

よどんだ都会の空気でいつの間にか心がむしばまれていた。ありがとう。素敵な言葉をまた一つもらった。行雲流水という言葉を見つけて目を輝かせた、あの習字教室での一コマを私は忘れていた。

星だけでなく月明かりすら見えないような眠らない街で、私は……朝はせかせかと1秒でも早く駅へとアスファルトの道を歩み、無言の人々が詰め込まれた地下鉄に乗って会社へ。季節を問わず一定の温度に保たれた快適(?)なオフィスで画面に向かい、日が暮れた頃にまた同じ道を辿る。
だんだんと時間も曜日もわからず、季節の感覚さえもなくなっていった。都会でも目を凝らせば季節の移ろいは感じられるというのに、そんな余裕もなくなっていたと、今、故郷に帰って気づいた。

生きて帰れてよかった。本当に。

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