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感情という名の芸術

前回の「 感情と明晰夢 」においては 自分が導きたかった結論は
聡明な曇りの無い 感情 とはそれそのものが悟りであり芸術である という証だ
つまりは 悟りでも最も尊いものとは 経典でも宗教でもヨガでもなく
澄み渡る 感情 であり それはそのまま芸術である という点だ
つまり 自分は前回の記事の最後に
『 文学の根底にある想いである 人類全般の無意識にある想いは このキザなセリフに 何を期待しているのか? そこを問う必要がある 』
と説いた その謎かけから最後に至るまで『 芸術 』という単語は一切省いて書いた 当然それは次の記事を意識してのことではあるが それだけでなく多くの人に気づいてもらいたいがためでもある

自分は、瞑想家とは名乗っているが 仏教をはじめ自分の信念体系が最も信頼し尊敬している団体すら 最重視しない
それは ある種 以前行った クンダリニーヨガ による 脳天ぶちぬき でみた世界の記憶がそうさせるのだ
サハスラーラを遥かに超える世界 それは人為的なものは一切ない超高エネルギーの神聖幾何学の圧倒的芸術の世界だ 芸術の根源がそこにある

自分は以前の バーソロミューについて書いたブログでそれを示したが
この領域が創造世界を形づくるといえるのだ
それは次の事からも明らかにわかる
なぜに芸能人に霊能者が多いのか?
なぜに芸術家はより強よく霊的世界にも関心を示すのか?
またなぜに超極悪人すらファッションに拘ったり、見栄えを気にしたり
どこかに奇麗なものを求めるのか?
またなぜに 派閥が生まれるのか?
・・・・・・・
言い出せば この世に芸術に全く無関係な思想や概念というものがあるだろうか?
わかるかな? いわば 事象の創造には必ず こっからの何だかの意図が働くことになるわけだ 以前ブログにもあげたが この領域に上げられた人の思いや想念が この領域から下って創造世界を演出しているのだ
https://ameblo.jp/jcurrent/entry-12313441965.html
このプロセスには確かに神々も関連してくるし 全ての相関関係が構築される
この仕組みはおそらく 1刹那ごと起こり 各魂の体験領域を演出していると思われる
そう! たった1人の人間の 1瞬の感情さえも!
そういう意味で 感情を捨て去った時点で 人間失格であり 人としてはおわりだ もちろんこれは超厳密な意味でということだ
逆に 自分に恥じることが一切無い 鮮明な純粋な感情 というものは
それ自体が 即宇宙の意志を現わしているのである
それは 世界の有名芸術家の奏でる曲 や 絵 と比べても恥じる事のない同レベルにおいて芸術品であり 至高の創造=ブラフマンからやってきた指令なのである
我々の この現象界において 言葉で表現される世界において!
政治~宗教 経典 やその他 全てにおいて これほど明瞭で自分がこの世に生まれてきた 意味を鮮明に現わしているものは一切無い といえる瞬間なのである
ただ ここで人が誤解するのが 魂とその芸術のメカニズムをはき違えてしまうのだ クンダリニーヨガが垣間見せる脳天以上の世界は事象であり魂とは無関係 どこまでも感情など含めたマインドであり現象世界の雛形というべきものだ
そして おおよそこの世で目にみえる対象=言葉、文、文字、音声、映像
等々でこれのメカニズムに引っ掛からないものは一切無い!
大方宗教の経典すらこのメカニズムの創造性の手中にある
よって自分の中にある より鮮明で純粋な感情は即座に至高のブラフマンを現わしている
その瞬間があるなら それは魂がそれに従うべきであり その瞬間において
邪魔するものは例えそれが何であれ無視するべきといえる(事現象世界においては) ただこんな1瞬というのはそれこそ滅多にある事ではない
( ※あくまでこれは哲学的深い考察の話であり なんでもかんでも感情を正当化するのは言語同断というのはいうまでもない あくまでそういう観点がわかった上での話ということは、念を押しておきます )


もちろん それは 鮮明で邪心のない純粋な感情の場合であり
何かの打算や邪心が混じった感情というものは 全くその限りではない
ただ 打算や邪心が多少混じった感情であってもそれはこの領域が多少なりとも介在はしている事は予測がつく しかし邪心が混じった感情で動くと必ず後で後悔することが待ち受けている
つまり 我々人間とは どこかで芸術因子をもち それを成しているのだ

つまり世にいう平行宇宙やパラレルワールド それらの世界は1瞬における明瞭な気づきによってもたらされる覚醒により発生していくのかもしれないとおもうのである なぜなら 以前自分があげたブログ
https://innerconf.blogspot.com/2020/01/blog-post_29.html
これであげている 一応日常の活動でも そのほとんどは無意識により動いている部分大であり その無意識により動いている部分とは、意識がぼやけていて記憶もハッキリしていない つまり気づいているけど気づいていない状態は非常に多いことを意味している つまりそれはただ自動生成されている世界を意味している しかし何かの拍子に 感情が沸き起こり感動に満ち溢れた時 またその逆に 怒りに手が震えるような時 人は必ず覚醒している それは夢からの覚醒ではなくて 日常からの覚醒だ
おそらく その瞬間こそが 平行宇宙生成への1瞬なのかもしれない
とはいっても その時の本人にとっては、何だかの行為に収束していくだけのことだ
つまり そこで『気付かなかった世界』と『気付いた世界』にわかれていくのだろう 当然上は気づいた場合の世界の途上をいっている

この記事は、謎かけをやるだけやっておいて ほったらかしにするわけにはいかないという思いとこれからは 冷静さだけに収束しようとする風潮 無関心無感動を阻止するため 我々は感情というお宝を見直す事が重要と考え記事にすることにした

補足:自分はこの記事を書いている途中 県内の量販店が販売している
福井県が配布するマスクを買いにいき 聞いた「このマスク中国産じゃないでしょうね?」
すると やはり 中国産であり「ただ厳重な管理の元作られたことだけは確かです」という答えが返ってきた それで思わず
「これだけ中国でコロナが多いというのになんで中国で作らせた!」
(※実はもっと突っ込んで問いただした)
と文句を言ったら 隣にいる無智なおっさんに
「おい それが不満なら買わなきゃいいだけだろ 何をいってんだ!」
と云われ
「今聞いてわかったばかりだ 驚いてあたりまえだ 心配しなくてももう帰るよ」
 とスゴスゴ帰宅した というのは 自分の病気は激怒するとヤバいことになり 場合によっては即座に死につながるからやむおえない
もうすでに下腹部から猛烈なその種のものがたちこめようとしていたが こらえこらえて 以前ならそこでひと悶着やっただろうが スゴスゴと引き上げた
 いずれにしても こんなもんだ もしそのとき自分がそれにまともに応対して 少しでも攻撃する意志を示したなら 喧嘩が待ち受けていただろう
それは明らかに時間のロスであり バカバカしい事態を招く
よって 自分は最近 感情の必然性を訴えているが これを軽率には考えないでもらいたい 感情というより 感動とか感性を豊かに と捉えてもらえれば幸いだ そのあたり 社会を混乱に導く意味の「感情」とはき違えないように認識ください m(__)m
 しかし 少しずつではあるが 最近はこの怒りのエネルギーを抑えることに自信がついてきた もうすでに この出来事から自分は完全に開放されている しかし もしこれが良い感情であったなら ずっと1日でもそのままにしておくだろう なんちゃってね (^^)

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