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STORY②

第二回

ソニー・ミュージックの歴代の椎名くん担当A&Rもみんな音楽愛がとても強いマニアで、本気で最高のソウル/R&Bを作ろうとした、とても強い個性の人たちだった。一番年下の自分はこの強い先輩方に迷惑をかけないようずっと必死だったと思う。

そしてバンドメンバー。
当時のライブは「椎名純平&Evil Vibrations(通称EV)」という名前で活動し、クラブやライブハウス、ブルーノートなどをはじめとするジャズクラブから学祭、インストアのキャンペーンなど多くの地方を一緒に回ったりした。

名阪福のブルーノートツアー時のもの

ある時はO-EASTのリニューアルこけら落とし、ある時は空港でのライブ、B-BOYだらけのヒップホップイベントや、熊本の遊園地で凍えながらの野外ライブなんていうのもあった。特にFM絡みのイベントがとても多かったと思う。
手帳の記録を見ていると3日で3都市の移動を2回しとか、なかなかタイトな稼働のこともあったようだ。

地方公演のときには、事務所のハイエースに椎名くんのRhodes(事務所で1台ライブ用に保管していて、いつも一人で運んでいた)や、メンバーみんなの楽器、アンプなどを預かって、仙台や神戸くらいの距離なら余裕の日帰り運転してメンバーを自宅まで送ったりもしていた。今はもう体力的にムリだ。

ほか、自分の仕事というか趣味の一つとして、ライブを観に行っては対バンやコラボレートするアーティストを探すということもよくやっていた。

この時期、根城のレギュラーイベントとなったのは渋谷のクラブエイジアでやっていた『Back To the LAB』。このイベントはヒップホップバンドの盟友「LOOP JUNKTION」と椎名純平&EVがホストとなり開催していた。

とにかく飲酒の量がハンパなかったことをよく覚えているが、この時期あたりからクラブで演奏している生バンドのシーンが盛り上がり「NATURAL VIBES」のコンピレーションが出たり、その打ち上げから発展して一晩中バンドで音を止めないイベント『nbsa+×÷』にもつながっていく。

NATURAL VIBES
national band-school associates

↑自分が書いたnbsa開催時のニュース記事

とにかくEVのメンバーはみんなとても仲が良くて、本当に部活の先輩後輩みたいな関係性だった。

今回、本作に参加してもらったSOIL&"PIMP" SESSIONSのタブゾンビくんや長岡亮介くん(通称リーダー)も最初からのEVのメンバーだ(のちにパーカッション/ドラムの畑さんとリーダーは林檎ちゃんに誘われて東京事変へ)。

ベースの大神田さんのスケジュールが合わなかったライブのときには、現ペトロールズのベースでもあるジュンゴさん(当時はLOOP JUNKTION)に依頼してトラ(代理のこと)で参加してもらったこともあったし、nbsaに限らず色んなことが今に繋がっているようにも思う。

この時期はソウルのカバーが定番のようにセットリストに入っていて、Marvin Gaye「What's Going On」(一部Donny hathaway風味)がどんどん洗練されていったのはもちろん、記憶に残っているのはモーション・ブルーヨコハマでの公演。

メンバー板付でJames Brownの「Funky Drummer」を出囃子に椎名くんが登場する演出に鳥肌がたったり、「白昼夢」を演奏してるときにはあまりに素晴らしすぎてマネージャーのくせにしょっちゅう涙ぐんだりもしていた。

白昼夢
ある時のセットリスト

そして20年前、2003年末のモーション・ブルー・ヨコハマでのカウントダウンは「SOIL&HEMP SESSIONS」と「椎名純平&Evil Vibrations」の2マンで、この日にソイルは"PIMP"にバンド名を改名した。当時のEVのホーンズはタブくんと元晴さん。
考えたらこの2人はソイルも含め1日に4ステージ×計4日間(+深夜のセッション)をこなしている。このイベントの仕切りも自分だったのでとても感慨深いが、とにかく凄まじい体力だ。

今じゃ考えられないが、当時自分はもう一人兼任で担当していたシンガーもいて、年間数日しか休みもなくなかなかにキツい日々だった。
(実はそのもう一方のアーティストの楽曲提供にはソイルのタブくんと社長も関わっている)

でも毎日ものすごくたくさんの音楽を聴いて吸収して、自分の人生的にはいろんな経験の礎となるとても楽しい大事な時間だったと思う。

(続く)

「カフェインの女王」アナログリリースまで
残り13日。

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ありがとうございます涙