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千葉妖怪伝説 その一「八幡の藪知らず」

平将門、この名前は千葉に住む人々に、奇妙な親近感を与える。

千葉・茨城を本拠地とし関東に覇を唱えたこの英雄は、悲劇のヒーローでもあり、京都に対する反体制の旗頭でもあった。その為か、千葉県内には多くの将門関連の伝説が多く残っている。これは、中央に対して弓を引いた関東の勇者に対する思慕の念が影響しているのであろう。

 数多くの伝説で、一番興味深いのは やはり「八幡の藪知らず」ではないだろうか。

 現在でも、市川市役所前に「八幡の藪知らず」という小さな森がある。石の塀に囲まれ、正面には小さな祠がある。森自体がご神体といった感じであろうか。かつて何倍もの面積があったようであるが、周囲には住宅が建ち込み当時の面影はない。しかし、夜分にこの森を通ってみた際、やはり只ならぬ妖気のようなものが感じられた。そうかつてここは、忌むべき場所であったのだ。

 では何故、「藪知らず」が恐るべき忌み地とされたのか。それは、平将門が俵藤太ら朝廷軍と戦った際に、将門軍の鬼門に当たった場所が「藪知らず」であったとか、あるいは、将門軍の死門(仙道における鬼門のようなものらしい)であったとか諸説がある。つまり、地元の英雄将門の軍のウイークポイントであったという説が濃厚である。また単純に「藪知らず」の部分だけ他領の飛び地であった為、政治的に立ち入りが拒否されたという説もあるのだ。

このように「藪知らず」は、周辺住民からひどく怖れられ、その地に踏みいると不吉な事が生じると伝承が生まれたのである。実際に「藪知らず」にはどうのような怪異伝承が残っているのであろうか。一番興味深いのは水戸黄門が藪知らずに迷いこんだというものである。隣県茨城の英雄水戸黄門が、千葉の藪知らずに迷い込むとはいささか珍説であるが、この伝説によると迷い込んだ水戸黄門は多くの妖怪変化に襲われたという。

しかし、流石天下の水戸黄門である。あふれ出る妖怪の群れにも臆せずにいると、白髪の老人が出てきたという。そして、こう告げた。「この場所は人間が踏み入る場所ではない。貴殿は間違って入りこまれたようなので、今回に限り見逃す事にする」

次の瞬間、水戸黄門は藪知らずの外に出ていた。そして、水戸黄門は周囲の住民を集め、この場所には決して入ってはいけないと諭したのである。これは水戸黄門が藪知らずを広めたような事を暗示しているが、それ以降も怪事件は続いたという。

 江戸期には「藪知らず」の中で機織りをする音が聞こえたり、中には機織りをする女の姿を見たものもいたという。恐ろしいのは、その女が周辺の民家に深夜、機織りの道具や部品を借りにくる事である。貸すと大概翌日には返しにくるのであるが、その道具や部品にはべっとりと血がついていた事があったという。気味の悪い話である。更に伝説は明治・大正頃まで怪異談が発生したと伝えている。

藪知らずの中で浮游する火の玉を目撃したとか、あるいは藪知らずの前を深夜とおると「白い影」が「ボーッ」と立っていたという事件が度々あったという。

伝説というものは人がいる限り永遠に繰り返されるものである。

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ご注意:
この記事は、地域情報サイト「まいぷれ」で掲載されていた「千葉妖怪伝説」です。記載されている内容は、当時のものですので、現在の情報とは異なる可能性があります。ご了承ください。

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