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第4世代パンツと一角獣

「このパンツをはけ」
 と妻に渡されたのは、ペラッペラの布切れだった。
「エアーズ」というブランドの、グンゼという会社の商品なのらしいが、生まれてこのかたパンツに興味らしい興味を示したことのないぼくとしては、「はぁ」という他ない。
 興味がないということは同時に嫌悪感を持っているわけでもないということなので、差し出されたその布切れを履くことに抵抗はない。そもそも服を買うのが4年に1度くらいのぼくは、パンツを自分で買ったことがなく、9年間に及ぶ大学生活は中学・高校の時から履いていたトランクスとボクサーパンツで切り抜けた。これは「物持ちが良い」とも「究極のズボラ」とも好きなようにとっていただいて差し支えない。

 妻がこのパンツを買ってきたのは、彼女のちょっとしたワーカーホリック的な気質によるところが大きい。まず、公開可能な範囲で妻のことを紹介しておくと、彼女はぼくと同い年で、同じ大学出身だ。物理や数学を好むぼくと違い、彼女の興味は生物・化学に向いていて、同じ理系といえども実のところ日本と韓国くらいの距離は感じる。とりあえず、同じアジアだが海と国境は挟む程度には遠いという比喩だということだ。
 その彼女は修士課程を修了後、とあるゴムにはうるさい会社に勤めることになった。開発の部署に配属され、いろんな細々とした商材を担当し、東南アジアに出張に行って現地の結婚式になぜか参列したり、謎の香辛料を神戸に持ち帰るという大航海時代も経験した。会社といえば反射的に「社畜」というワードを思い浮かべてしまうぼくのような人種とは真逆で、(もちろん様々な愚痴を聞くこともあるが)会社員ライフを平均以上に楽しんでいるといえる。夫として、これは非常にありがたいことだ。

 さてこのグンゼの「エアーズ」。ゴム屋の彼女がこの商品に目をつけた理由は、「ゴムを使わない『第4世代パンツ』」という触れ込みである。妻からそのような説明を受けたとき、ぼくはとりあえず「第4世代とは?」と質問した。すると彼女は得意げになってこう語った。

男性用下着はこれまで進化を遂げてきた。ブリーフ(第1世代)からトランクス(第2世代)へ、そしてその両者のメリットを掛け合わせたボクサーパンツ(第3世代)と飛翔したが、股間の快適さへの人類の探究心はとどまることを知らない。これまでのパンツにはなんの疑いもなくゴムが使用されていたが、グンゼ「エアーズ」ではゴムが一切使用されていない。この是非について、男性の生の声を私は脳髄に刻み込んでおきたい。
──まちゃひこの妻

 ゴムが一切使用されていないパンツというのは、ゴム屋である妻にとって、想像を絶するほどのショックだっただろう。おそらく、この世が摩擦力なく実在できるということが示されるような、信じがたい出来事であったに違いない。科学的に経験主義的な立場をとる妻に促され、被験者としてぼくはボクサーパンツを脱ぎ捨て、一物を二、三度ぶらつかせたのちに第4世代パンツに足を通した。

 するとどうだろうか。

 第4世代パンツは確かにこれまでにない履き心地だった。ありがちな比喩ではあるが、「何も履いていない」ような軽さがあるけれども「パンツを履いている」という実感を確かにするフィット感が確かにある。一物はポジションを確たるものにし、まるで深海魚のように安らかな姿勢で眠ることができている。
 なにも履いていないのにフィット感がある……この感覚から想起したのは、どこかの部族が股間につける一角獣の角のようなものだ。

 テクノロジーの進化を経て得られた感覚がまさか原始的な情景を想起させたとは個人的にも驚きであったが、今、妻に対してこの1500円(税別)の新時代のパンツの履き心地をどう伝えようか、真剣に悩んでいる。

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