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地域をともにつくる社会を目指して

今回の『役員の顔』は、宮田光明(みやた みつあき)理事です。
宮田さんは、びーのびーのが大変お世話になっていた港北区主任児童委員元会長の横溝和子さんからのご紹介とご推薦で、2010年にびーのびーのの理事に就任して下さいました。当時は港北区民生委員児童委員協議会会長として横浜市の会長職と同時に全国の副会長も担われ、大変ご多忙で重職を担っていらっしゃいました。

一級建築士としてもご活躍で、建物のデザインだけでなく企画や見せ方のデザインにも造詣が深い方です。全国的にユニークな取組みや参考になる文献などがあると、一緒に視察に行ったり資料を提供下さったり・・・。
民間当事者発のびーのびーのだからこそより柔軟に、より先見性を持って活動していく必要性を常に投げかけて下さっていました。
温かくも深い懐で導き、とくに福祉の道を切り拓いて下さいました。

そんな宮田理事ですが2024年度の第24期総会を持って7期14年間の理事を退任される予定で、以後はアドバイザーとしてより広い見地で見守っていただくことになっています。この場をお借りして感謝をお伝えすると共に今後とも末永くよろしくお願いいたします。

サンタ姿で子どもたちに囲まれる宮田理事

地域をともにつくる社会を目指して

町内会活動に参加して間もない1995年から民生委員・児童委員をお受けしています。まだ福祉保健の分野では介護保険制度はなく、専ら行政がサービスの配分を行う措置制度から、利用者本位の仕組みへ変わろうとする変革期でした。

民生委員児童委員になれば担当地区を持ちますが、ある日「近隣の方から相談があって、ひとり暮らし高齢者の状況を視てきてほしい。」と先輩から声を掛けられ、往訪したのが最初の訪問連絡活動です。

アパートの玄関には鍵が掛かっておらず、まだ慣れない声掛けを暫く続けていると、弱々しい声が聞こえ、押入れの中から動きのない男性の姿が浮かんできました。状況を聞いているうちに、前日から食事が摂れていなかったことがわかり、帰る前にスーパーで買った弁当を部屋へ届け、最初の訪問は終りました。

そして翌日再び入院を勧め、やっと病院へ行くことの了解が取れたのですが、今度は病院から入院を勧められても固辞するばかりで、夕方近くにやっと入院が出来た状態でした。入院までこぎつけたこの後も、この男性はどんどん状況が変わっていくのですが、続きは機会があればまたお話ししたいと思います。民生委員活動が始まった28年前の記憶に残る体験でした。

28年にわたる民生委員活動でのひとコマ(写真二列目右端・宮田理事)

地域共生社会が目指す、『住民や多様な主体が参画して地域をともにつくる社会』は、民生委員の活動が目指すものと同様だと言われています。
働くというかたちでの社会参加の環境は、これから次第に整備されていくと思いますが、ひとり暮らしの増加に対応出来る安心確保や、介護、労働力不足を補う外国人労働者の増加に伴う問題、孤立、地域での子どもの居場所、ヤングケアラー、引きこもりなど、住民のひとりとして民生委員児童委員協議会(民児協)に所属し、委員として向かいあう地域社会は現在急速に変化しています。

民生委員活動の基本は、生活課題のある人に気づき、援助につなげ、見守ることです。各制度は分野や年齢別の縦割りを強めてきましたが、民生委員活動は従来からの小地域を基盤にしたものであり、人や家族の丸ごとを受け止め問題に対応するというスタイルでした。
これから地域共生社会の実現にどう参加するのかを考えるとき、その方向性は、民生委員や民児協の柱を太くすることのみで支える地域というよりは、より多くの柱で支えられているタフな地域づくりに向かって、目の前の小さなことから取り組むべきことなのでしょう。

緩やかな絆は未来をどうつくり上げるのでしょうか。
それぞれ果たすべき責任と役割を自覚しながら、多様な主体とともに考え、action&redesignし、やがて地域を変え、どこかにつながる〝びーのびーの〟を思い描きながら書いてみました。

宮田 光明

横浜市民児協の活動の様子(写真左から2番目・宮田理事)


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