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文学を専攻するということ

こんばんは、瓶宮です。

あけましておめでとうございます。新年早々大変なことが起きてしまったが。どうか安らかな日々が送れますように……。


あと1回、ゼミに行ったら大学生活が終わります。4年があっという間だ。正直に言うと、寂しいです。中高では、卒業することに関して、仲の良い友人と生活を送れなくなることに寂しさは感じても、あとは勝手にやってくれという気持ちでした。愛校心も特にない。高校のときは卒業式に出た後、普通に映画を観に行った。しかし、大学生活の心地よさと「これ以上ゼミをやることはないんだな」というカリキュラムの終了に心残りがあります。

私の所属しているゼミでは、ひとつの文学作品について取り上げ、その回の担当者が「この作品はこんなことを言ってるんじゃないか?」というレジュメを作って発表し、それに対してみんなで輪になって話し合うというスタイルでやってきました。たとえば、私は安部公房の『飢えた皮膚』という作品(「おまえ、皮膚の色が変わる病気だからうちに来て治療したほうがいいよ」という嘘をついて、金持ちの女をだまして再起不能にさせる男の話)を扱い、「皮膚の色が変わるっていうのは、社会的に死ぬって意味が含まれてるんじゃない?」みたいなことについて、なんとか証拠を揃えて発表しました。

2年生の基礎ゼミでは人数が多く、なあなあで時間が過ぎていくので、あまり積極的に参加することができませんでした。しかし、それとはうってかわって3年生以降は、「楽しいかも……」という瞬間が増えてきました。それは、自分の発言がその場においてしっかり意見としてみなされたうえで、議論が進んでいくということに「いいんだ!」と思えたからです。やっぱり、面と向かって言われたことはなくても風潮として、まだ「あいつあんな発言してて草」とか思われてたらいやだな〜という議論外での心配があったので。みんながまともに授業を受けているという状況が嬉しかった。

文学は読む人の分だけ、解釈が存在します。読み方ともいえますね。それを議論で出し合って、似ているものやまるで正反対なもの、一見まったく関係なさそうなものたちの中からうっすら見え隠れする共通項を探していくんです。それが、もしかしたらこの作品の言いたいことなのかもしれない?でも、絶対にこれが正解だ!というのはなく、じゃあ今回はこのへんで……というふうに毎回授業が終わる。私はこの時間が好きでした。

たぶん、この感覚って文学作品に限った話ではないのかも、と最近思っています。この国では首相が暗殺されたり、されそうになったりしていますけど、何がその人を首相への攻撃に駆り立てるのか?首相がこれまでやってきたことは良いことなのか?誰の視点から見て良いことなのか?みたいな、大きなニュースはもちろん、友だちが最近飲みの誘いに応じなくなった……。仕事が忙しくなった?自分の行動に嫌気が差して交流しないようにしているのかも?やっぱり健康のためにお酒を飲むのをやめた?みたいな、身近な出来事にも当てはめることができると思います。

決して、ひとつだけの視点に囚われずに、いろんな角度で物事について考えること。私は特に、会話で言われたままにすぐ受け取ってしまいがちで、あとからこういう意味で言ってたのか……気づかなかったぜ……となってしまうので、この力って大事かもしれません。

文章をつくる人について考えることが、いわゆる文脈を読むということなんですね。どんな言葉も、言う/書く人が違えば、それにこめられる意味もぜんぜん違うものになる。文学を専攻するということは、これが分かるようになる、できるようになるってことなのかな、と思いました。

いや、先生方がもしこれを読んでいて、「本質ここにあらず」ってなってたら、それはごめんなさい。少なくとも、私は文学部でこういうことを学んだよ、と言いたい。文章をつくる人に焦点を置くというミクロな行為は、そんなことどこまでいってもそいつによるだろ、意味ないだろと思うかもしれません。
人間なんて多種多様で、なんでこんな小説書いたの?なんでこんなこと言ったの?って聞かれても、極論そいつがそういう人間だったから、QED.で済むっちゃ済む。けど、同じ人間どうし、もう一歩踏み込んでみて、こんな小説を書いているとき、もしかしたらそいつが感じていることは自分も感じたことがあるかもしれない、そしてそれはこんなときに、と考えを巡らせてみても良いはずです。相手と自分が、何かしらの事柄を通じて繋がることの豊かさを信じたい!文学部とはそういう学問だと思っている。あるいは文学を専攻するということ。だから、私は自分が文学部に進んでよかったなと後悔していないのだと思います。いまのところ。


なんだか似たような記事をテメーのnoteで読んだことがあるぜ!という人がいるでしょう。それはこのnoteのせいです。

自分自身、これはかなり気に入っており、私にしては珍しく胸を張れるnoteだと思っています。しかし、読み返してみて、言いたいことをうまく言える自信がなくて、なし崩し的な感じにもなってしまっています。恐れの見える文章。だから、今回そのリベンジとして再び書き直してみました。ワハハ。前よりも、多少は言いたいことが言えたはず。

それでは!👊

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