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文学部は無駄じゃないよ

こんばんは、瓶宮です。
本当は週1くらいで更新したい気持ちはあるのですが、ゼルダの伝説ティアーズオブザキングダムが……。ハイラル王国が私を呼んでいてなかなかうまくいかないですね。継続できているだけOKってことになりませんか?

そろそろ、大学の夏休みも終わりそうです。それに伴って卒論もようやく書き始めました。ゼエゼエ……。論文って、もともとあるものに則ったり現象を計測したりして「事実」を書くイメージがあります。それに対して、文学の論文はちょっと違うんですよね。なんとなく、本の読み方というか「私はこういうふうに解釈したけど?」をお出しする場であるように思います。個人的には、いくらぶっ飛んだこと書いても、芯が通っていればOK!(だと少なくとも私は思っている)な分、自由度があってやりやすい気がする。理系の論文は実験をやったりしてちまちま現実と向き合わないといけないから、それが大変そうだなと思います。

卒論ということは、もう大学生も終わってしまうということなんですけど、あと5年くらいこんな感じがいいな……と思っちゃう。5年もいてどうすんのよ、なんなら日本文学科に4年在籍して、何を学んだのよ!?と問われると即答するのは難しいです。法律を学んでこの国でのやっていいこと悪いことの応酬を知り役立てられるようになったわけでもなく、経営学を学んで会社での利益にどう貢献するかに役立てられるようになったわけでもない。文学に直接的な役立ちなんてものはないので口ごもることしかできなくなってしまう。

「文学部に行くだけ無駄」「文学を学んで役立つことなんかない」という言葉をよく聞きます。私も入学当初はそう思っていました。趣味の延長なだけだな〜と。けど、本読みのプロである教授と本を延々と読んでいく中で、本の読み方って一通りじゃないじゃんと気づくことができました。作品の解釈は人の分だけあるみたいな。そして、それは決して無駄なことじゃないんです。役立つか役立たないかだけで見るのではなくて、その間をゆっくり覗いて考えることって大切だと最近思うようになりました。二元論で終わらせない!グラデーションに注目する力を養うことができるのが、文学部の強みなんじゃないかなと思います。

だから、文学部のみんなは劣等感を感じる必要はない!狭間に寄り添うことで、直接的な役立ちとは別のところで人を救ったりできると思います。なんなら役立とうとか思わなくていい!役立たないなら無駄とかそういうのは豊かじゃないですよね。みんな等しくそれぞれの生き方やり方があることを認めたい。

そう言い聞かせて、卒論書き上げがんばりたいと思います。それでは。

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