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つくる苦しみとうまれる喜び!

こんばんは、瓶宮です。

最近、久しぶりに創作をしました。1~2年ぶりにぶわーーっと書きました。

私は絵を描くことも好きなのですが、文章を書くことがさらに好きで、毎日(ちょっとサボる日もある)日記を書いているとなんか良いな~という気分になります。自分の考えを言語化することに成功するのが気持ちいい。というのも、言語化するって本当に難しいです。マジで。

定型文を書くとか業務連絡をするために書くとかっていうのは、もうあらかじめ伝えることが決まっています。自分の意思を介在しなくても、事実を伝えれば良いので、その事実を伝えるという行為に特化した言葉たちをうまく組み合わせて使えば、それとなく「ぽい」文章ができあがります。例としては、ビジネスメールや書き置き、その他いろいろあるのかな。
「いつもお世話になっております。~と申します。~の件についてご相談があるのですが……」「今日は夜ごはんいらないよ」みたいな。

それに対して、自分の考えを書くというのはぜんぜん違うと思っています。そもそも、私の脳って本当に言語ですべてを考えているのか?という疑問があります。言語を使って考えていて、いざそれを紙に書きだしてみるぞ、となったとき大抵うまくいかないんですよね。うまくいく人はたぶん才能です。書いていると、自分で敷いたはずのレールから勝手に脱線していって「えっ、そっちじゃないよ!」ってなることが多い。それは、「考えている時間」と「考えている時間を再現する時間」という差異があるからではないかなと思います。考えている時間を再現するとき、また違う部分で今現在も考えが更新されていたりしませんか。「こう思っていたときってなんでそれが正しいと思っていたのかな」という風にリアルタイムで思考が上書きされていくので、自分の考えを書くという行為がこんなに大変だったんだなあと、日記を2年書いている今でも新鮮に驚きます。

それを創作するということになれば、さらに大変なことをしているわけですから、パワー使いますね。
先日、文字書きをして身につまされました。後から見返したら言葉の使い方ぜんぜん違うじゃん!ってなるし。クリエイター、すごいや。

けど、もうこりごりだ~!ってなったわけではなく、なんならやっぱり文字書きとして暮らしたいなという気持ちも湧きました。あんなに難しくて苦しみがあるのに、それでもやめたくないなと思うのは、生み出したものに愛着があるからなのかもしれません。創作って、自分の脳内に広がる世界観をみんながわかる記号に翻訳して形づくるものだと思うので、いわば創作=思考みたいなわけです。そうじゃなかったらすみません。思考が認められたら嬉しいじゃんね。

創作人(そうさくんちゅ)、愛!

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