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知に対する敬意

エセ科学
トンデモ科学
科学を”装う”ものたち。

経験的にそんな気がする
なんかそういうイメージがある
ということはたくさんあるけれど
そこに根拠があるかどうか
ということは、大事に扱いたいと思う。

すべての物事に根拠が必要
なんて過激なことは別に思わなくて
すべてにおいて科学的であるべき
なんて過激なことも特に思わなくて

「これはおばあちゃんの形見で”お守り”なの」
とかそうゆうのは、とても大切にしたいし

子どもの描き出すファンタジーとか
最高だなと思うし

大切にしたいものが
科学的であるかどうかは全く問題じゃない。

嫌だなと思うのは

それっぽい用語を振りかざすだけで
根拠をでっちあげるような
「科学的に証明されています」
とか言っちゃって科学を装っているもの

なんか胸がざわつく。

「科学的に証明されています」は
そんな簡単に言える文言ではなくて
今のところ、そう考えられる、とか
8割くらいは正しいと考えられる、とか
そんな状態が続いて
間違ってたら「ごめんなさい」で
やり直して
地道な積み重ねの果てにやっと言える
という、ものすごく重みのあるもの
ではないかと思っている。

相関関係は因果関係を含まない。
複雑な現象をひもといて
因果関係を立証するのは
一朝一夕にはなかなかいかない。

科学になるには
やっぱり拠り所は観測や実験
再現性
どんなにそれっぽくても
観測や実験で確認されてなければそれは
「確認はできていません」の注釈がつくもので
証明なんて軽々しく言えない。

測定には必ず不確かさがともなう、とか
99%程度の信頼性では危険だ、とか
謙虚な姿勢で自然界に対峙している科学者たちには
本当に頭の下がる思いで

そんな尽力の果てに科学は進歩している。

結局のところ
根底に自然界への敬意があるか
知への敬意があるか

エセ科学、トンデモ科学は
そこらへんを蔑ろにしているように感じるので
なんか嫌だなぁ
と思うのかな
なんてことを最近考えていました。

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