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持ってすらいない変形玩具への愛について語らせてくれと頼まあ

マニアと言えるほど遊んだ訳でも無いし、コレクターと言えるほど集めても無いのだが、それでも変形玩具について語らせてほしい。

私はおもう。変形玩具には、確固たる枠組みがあると。

車からロボットへ変形する玩具を例に挙げよう。
「トランスフォーマー」と言えば、馴染みのない人も分かるだろうか。車のミニチュアが変形して人型のロボットに変形する、あの玩具である。

車のカタチ、ロボットのカタチ、変形の方法。これらには色々種類がある訳だが、「玩具として出来ること(枠組み)の寸法」とは、イコール「ミニチュアの車の寸法」なのだ。
車のカタチは日常的に目にするものであり、ほぼすべての人間が車のフォルムを何となく理解している。なので例えミニチュアの玩具だとしても、タイヤはふつう四つだし、ドアや窓のがどこに有るのかが決まっている。
その車の「ガワ」の中に、ロボットに変形する為に必要な腕や足、顔のパーツを全て収納しなければいけない。

この制約のなかで、「車としてもカッコいい」「ロボットとしてもカッコいい」「変形も複雑でない」変形玩具は開発される。これが如何に凄まじい事か。私はこの「制約の美学」に、言いようもない浪漫を感じるのである。

これほど魅力があることをつい忘れてしまいがちなのだが(実物を持ってないから)ひとたび変形玩具を目にすると、生まれた場所にかえったような気持ちになるのだ。

変形玩具の魅力はこれにとどまらない。しかし、網羅しようとすると書くのも読むのも疲れる文章になりそうなので、追ってこまごまと書いていきたいと思う。
変形玩具を持っていない人間が語る、変形玩具への愛の弁論でありました。

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