人間の芯まで腐っていなくて、良かった…

私は30代半ばで結婚しました。
私も夫も子供を望んでいたので、私の意思で、3ヶ月間、自然に子作りをして、妊娠しなければ、すぐに不妊治療を開始することに決めました。
結局、妊娠できずに、クリニックに受診し、不妊治療を開始しました。
ほぼ毎日、クリニックでホルモン注射をうってもらい、タイミング法で妊娠を待ちました。
「今月も、また妊娠できなかった…」と、毎月、生理が来る度に落ち込みました。
不妊治療を開始して、半年が経過しても妊娠せず、「このままずっと妊娠できないかもしれない」という不安と焦りで頭がいっぱいになりました。
毎日1日中、妊娠することばかり考えていました。
土日に夫とショッピングセンターに買い物に行くと、多くの家族連れに遭遇し、さらに落ち込みました。
幸せなオーラが、キラキラと輝いて見えました。
「真面目に生きてきたのに、どうして私だけ妊娠できないの?治療だって、頑張っているのに…」という思いが、頭をグルグル回っていました。
それと同時に、他人の幸せに嫉妬している自分が情けなく、悲しかったです。

私は妊娠できない不安な気持ちを、泣きわめいたりして、よく夫にぶつけました。
夫は「不妊治療、止めていいんだよ。子供がいなくても、○○がいれば、俺は幸せだよ。俺の親だって、2人が幸せなら、子供がいなくたっていいんだよって、言っているよ」と、いつも言ってくれましたが、私は40歳になるまでは不妊治療を止めるつもりはありませんでした。
40歳になっても、妊娠できなければ、里親になろうと考えていて、夫も私の思いを受け入れてくれました。
夫は私の良き理解者で、いつも私を励まし、支えてくれました。
私の実家は、両親もきょうだいもいる一見、普通の家族でしたが、両親が不仲で、家庭内に会話がない家庭でした。
だからこそ、私は温かい家庭を作りたかったのです。

不妊治療を開始して、7ヶ月経過した頃、やっと妊娠しました。
先生から「流産しやすいから、気を付けて」と言われ、気を付けて生活していました。
夫の友人夫婦に子供が生まれ、お祝いの赤ちゃんの洋服を買いに行った帰り、トイレで赤い塊が出ました。
嫌な予感がしました。
流産でした。
それからの私は毎日毎日、涙色の日々でした。

不妊治療を開始して1年半ほど経過した頃、山陰地方に住む夫の祖母・叔母夫婦宅を訪ねました。
真冬だったので、「○○山でイルミネーションをやっていて綺麗だから、見に行ってきたら?山道は結構、急で揺れるから、座席に座っていったほうがいいよ」と叔母に勧められ、シャトルバス乗り場に向かった。
かなり人気があるようで、シャトルバス乗り場には行列ができていた。
確かに山道は結構、急で、よく揺れた。
真冬のイルミネーションは美しく、ささくれた私の心を束の間、癒してくれた。
帰りのシャトルバスに乗り込むと、ラッキーなことに2人席が空いていて、夫と座ることができた。
その後、人が沢山乗ってきて、バスは満員になった。
私達から2メートルほど離れた所に、赤ちゃんを抱っこしている、お母さんが立っていた。
一応、お母さんは掴まり棒を握っていた。
もう少しでバスは発車する…。
私は夫に「あそこのお母さんに声を掛けてきて。ここに座って下さいって」と頼むと、夫は実行してくれた。
「え!いいんですか?ありがとうございます!」と言う、お母さんと、お母さんのお母さん(赤ちゃんのおばあちゃん)に席を譲って、私と夫はお二人に気を遣わせないよう、運転席横の最前列に移動。
バスは山道を下り、終点である某駅のロータリーに到着。
私達夫婦は一番にバスを降り、夕食をとるパスタの店へと急いだ。
すると後ろから誰かが追いかけてきて
、「すみませーん!」と声が。
振り返ると、先程の赤ちゃんを抱っこした、お母さんだった。
「ありがとうございました!」とお母さんが言うと、隣にいたお母さんのお母さんも深々とお辞儀…。
私達夫婦は「全然、いいんですよ!こちらのほうこそ、わざわざ、ありがとうございます!」と言い、頭を下げた。
私達こそ、席を譲っただけなのに、わざわざ追いかけてきてくれて、お礼まで言ってくれて…そこまでして頂き、何だかもったいない気持ちというか、ありがたい気持ちになった。
お母さん達と別れ、再びパスタのお店に歩き出す。
師走の風は冷たいはずなのに、私の心と体は温かかった。
そして、私は夫に言った。
「私、人間の芯まで腐ってなくて、良かった…」。