柿渋って餅焼いた夜

明けない。明けない夜。
眠れないのか、眠らないのか。

この時期の朝日は早いはずだが、まだ、暗い。
ありがたい。安心できるのも今のうちだと思うと怖い。怖くない。

嘘ばかりついてしまう。これを嘘と知ってるのは自分だけかもしれない。だから、成立する。
電気を消すのは、少し怖い。これはどちらだろうか。誰にもわからないことさ、強気であるのは自己防衛の類か、情けない。いや、情けない。

趣味ではいけないのだろうか。好きなことで、生きてゆく。馬鹿にできるようで、自分はそれをまっとうしようとしているではないか。しかし、本気になれない者の苦悩は弱いし、逃げ道を設けた気になるし、嘔吐してもしきれない酸みたいなものが張り巡らされた心のうちでは、食って寝るだけの生活を信じることしかできない。信じなければ、どうしようもないのだ。

鳥蓮根が、旨いと感じてしまった。僕は今それを、指で摘んで食べたのだ。こんな時に味わえるだなんて、余裕にも程がある。創作とは、こうであってはいけないと私の人生が教えてくれたはずなのに、僕は何者にもなれないという絶望を希望に変換するのが得意なようで、まだ、諦めないどころかもがく振りくらいはしてやるつもりでいやがるから、どうせくだらぬ、くだらぬ人生かもしれない。

憧れた全ての人は、僕の思い描く生活ではないに決まってる。皆、つらい。美学として捉えるのは脇役こその指名のようで、僕にはようやく前述のように思えるようになれたけど、でも、まだいけない。裏腹にささやかなる一部でも、つらみにさえ憧れてしまっている。ド馬鹿なのである。


彼女は、美しく生きていると思った。
まず、趣味が多い。生業にしようと、醜い努力をしない。楽しそう。一番大事なことが、わからなくなってしまう。こんがらがる。
簡単になるが、美しく見えるのだ。ハサミの音が、綺麗だ。紙を切るその眼差しが、上瞼を下げて、澄んでいる。真剣であり、小鳥の生きる全てが詰まっているのかもしれない。

総じて、草原にいる裸足の少女なのだ。

きっと彼女には音符が似合うだろう。歯がピアノの鍵盤であったとしても、味方でいよう。花飾りを渡したい。相手にされなくても、絶望しないで、生きようとさえ思えるかもしれない。
心なしの発言が、心なしでは無くなるかもしれない。何気ない風景の特別変異にに似ている。

おかしい話ばかりがしていたいよ。叶わないけど、少しは近づくように日々を送り、死ぬ時に、後悔しないように僕の人生にはペンキが塗られていくから、安心しておくれ。
安心しろと言われて、できた試しがないのに。
今僕は、どうせ安心している。

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