絵を描き続けるために
今の時代、イラスト解説の動画で情報発信するイラストレーターをたくさん見られるようになりました。ですが動画を見た人が同じように描けるとは限りません。特に絵の分野は才能とか天才という言葉が飛び交いやすいのではないかと思います。
私は過去2年、絵を描き続けたことで、ある程度の実力に達したと自負しています。そこでこの「才能」というあいまいな言葉について分ったこと等を自分なりに記事にしていこうと思います。
絵を継続するためには支援が必要なため、一部有料とさせて頂きますが、絵を上手く描きたいと考えている方に少しでも手助けができれば幸いです。
はじめまして、いさざわと申します。
私は絵描きです。このブログでは私が得てきたイラストの上達法を解説していきます。
初回なので自己紹介を含めた過去の経歴を記します。興味があったらどうぞ。
自己紹介
以下経歴(長いので興味のある方だけ読んでください)
学生時代
私はものごころがついた時から絵を描いている人間でした。
一番最初は「悟空」に始まり、当時読んでいた「ボンボン」という漫画雑誌に連載されていた「ロックマンX」「王ドロボウJING」が好きでたくさん描いていました。
中学生〜高校生は何かのキャラクターを描くよりも、静物デッサン、人物デッサンなどの写実的に描くことに興味が移り、高校で美術部に所属して石膏デッサンや自画像、自分の手を数えきれないほど描いていました。
サラリーマン時代
高校卒業後は印刷物のデザイン制作がやりたくてグラフィックデザインの専門学校に入り、卒業後小さなデザイン会社にアルバイトとして勤めていましたが、人間関係がうまくいかず精神的にまいってしまい半年ほどで辞め、しばらく実家で無職に。その後、やっぱりまだグラフィックデザインがやりたかった気持ちがあったので地元の印刷会社に就職。
いろいろと苦労や困難はありましたが、16年継続して勤め、チラシ、ポスター、名刺、ページ物、伝票等、印刷製本に関する知識と経験を得てきました。
マンネリ期
当時の勤めていた会社は、田舎のよくある家族経営の会社です。田舎ゆえに、仕事の件数も金額もあまり大きくありませんでした。
デザインがやりたいのに「いいデザイン」は必要とされていません。皆ヒマだからデザインが悪くても読むんですね。
商品を作ってもデザインに関するフィードバックは無く、仕事は右から左へ運ぶだけの「流れ作業」と化していき、辞める5、6年前から働く意欲はマンネリ化してきました。
しかし、行動力と決断力の低い私は辞めるに辞められず、心の底では文句を言いながらダラダラ続けていました。そのダラダラが態度に出てしまい、いい年した男が無様に怒られることもありました。
辞めるきっかけが…
モヤモヤしたままサラリーマンを続けていると、私の母に癌が発覚。数回の手術と入退院を繰り返しましたが、闘病生活約2年で亡くなりました。そこで心が完全に壊れ、後先考えずに退職届を提出。
もうなにもやりたくない!サラリーマンなんてクソ喰らえだ!
無職生活開始
無職でいられる時間は約2年分ありました。3ヶ月ほど気ままに過ごしました(主にゲームやスノボ、ユーチューブ視聴)。それらに飽きてきたころ、サラリーマン時代はほとんど描いていなかったイラストをなんとなく再開しました。
「どうせ時間なんてたっぷりあるんだし、週に1回はイラスト投稿をしてみよう。」と思ったことをきっかけに、Pixivに普段よく見ていたVtuberのイラストを投稿し始めました。投稿しては反省し、次の絵に改善を施す。PDCAサイクルを回していくのは簡単ではありませんでしたが、少しずつ上手くなっていると感じ、もっと「上手くなりたい」という気持ちが高まっていきました。
ただの我流でデジタルイラストを始めたので、自分の力ではすぐに限界が見えてしまい、「もっと上手くなるには基礎の勉強が必要だ」と考え、たまたま目に入った「パルミー」の広告を知って申し込んでみることにしました。初めてデジタルイラストを触った人でも学べる講座がたくさんあり、上級者でも新しい気づきが得られる内容もたくさんありました。
昔よく描いていたデッサン画とは違いキャラクターのデジタルイラストもとても奥が深く、絵の腕に自信があった自分でもなかなか上達できませんでした。
初めて絵が売れた
パルミーを続けて約半年かかって基礎練習の部分はできたと思ったので、リクエストを受け付けることにしました。運がよかったのかすぐにリクエストしてくださる方が現れ、立て続けに3件も注文してくれました。初めて自分の絵に自信が持てた瞬間でした。
プロとしての実績はまだほとんどありませんが、何年かかってもいいから絵を描いて生計を立てるのが現在の目標です。
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