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夜明け 2024/3/5


仕事をしたり、日々情報収集をしていると、ビジネスパーソンとしての正しさと自分の正しくなさを同時につきつけられて、不甲斐なくしんどい気もちになったりする。そんな時は、申し訳ないがこれが私だ!と堂々ひらき直りやり過ごしているのだけど、最近それもどうかなと思うところ多く、かぶろうと頑張っている意識高い系の皮が重たい。

なんて考えながら朝仕事。早めに起きられて良かった。昼に外出する。


天満でナオさんと待ち合わせだ。先日一緒に行ったタイ料理屋で隣客が噂していたアジア食材店をナオさんが発見したらしい。楽しそうな場だと聞き行かずにいられねぇ。

と言いつつ歩いていて見つけた定食屋さんがおいしそうで思わず入店。

鯖の西京焼き定食

アジア食材店をのぞき少し買いものをしてから仕事。夜まで働く。


夜になり天王寺へ移動し映画を観る。「夜明けのすべて」だ。

以前からSNS界隈で、泣ける!素晴らしい!という感想を見かけていた。なるべく先入観は持ちたくないと思いつつも期待はしてよかろう、楽しみに席についた。

ビールはLサイズで!

感想。いま観て良かった。

泣けた!素晴らしい!絶賛!というより、穏やかに良かったと思えた印象だ。
全体としてはドラマチックな起伏はなく、淡々と進み、静かに終わる。終わって感じたことを整理している間は、その描き方が少し不親切というか、わかる人にだけわかればいいってスタンスなのかな?と不思議な気もち。大きく感動できていないのがなんか恥ずかしくて、感受性の乏しさ、眼の鈍さに少し落ち込むすらある。映画など映像作品を見慣れてないと置いてけぼりくらうなーと、一瞬ひねくれた思いを抱いてどう接していいのかわからなくなった。しかしもう一拍、時間をかけて考えてみると、そんな安直な話ではないはずだし色々なことに気づく。
そうだ、だって普通そうだ。感動的だろうが衝撃的だろうが、悲劇だろうが、どんな種類の場面も普通の時の流れとまったく同じにやって来るのが日々というもので、流れる時間は一見淡々と訪れ、その中にあるものやことがあり、それをどう感じるかはそれぞれだ。

この映画では主人公のふたりは人生の一瞬、すこしの間のたまたま近くにいた時に寄り添うだけだ。恋仲に発展したり、過剰に寄りかかったりしない。ただ少しだけ信頼感のある同僚だ。だいたいの人間関係はそういうものだよな。作品になりがちなドラマチックな関係やプロセスが少数だ。

「映画をカッコよく観られない自分が恥ずかしいよ色眼鏡」を取ると、ひとつひとつの変化が丁寧に、あらゆる形で示唆されていて確かに美しい描き方だなぁと思うことができた。自意識が映画を真っすぐ見れなくしたのだ。くー、恥ずかしいぜ。

でもやはりちょいと苦手だ。自分が実質的で感性に乏しく俗物的な人間でしかないのか毎度疑ってしまう。気楽に観られるようになりたいな。


上白石ちゃんのナレーション、松村くんの演技がとっても良かったことを添えて、感想おわり!


今日の鶴橋

駅前、高坂書店の跡地には寿司屋ができるようで、工事が進んでいる。


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