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生姜煮 2024/6/15


しっかし暑い。
一昨日の、東京から大阪まで乗った新幹線を出た瞬間から本当に暑くて仕方ない。今年もうんざりするようなあの酷暑がやってくるのか……。

そう思うと、浴衣を着ておこう、と思えた。たぶん7,8月はもう着てられないのでは?てゆうか6月って本来まだ単衣の時期だけど、もう、いいのだ。わたし史上最速浴衣解禁。今日はナオさんと遊ぶ予定なので許可をもらい、着る。せめて着物に近い柄のものをと、ブルーの縞のままさんから借りパクしてるやつにした。

最近髪の毛が短いのでまとめるのに苦労したし、昨年買ったばかりの半幅帯にシミを見つけてショボン。とにかく着て、待ち合わせに向かう。

北浜のギャラリーで谷口菜津子さんの展示をしているとのことで見にいく。絵柄も題材もナウなカルチャーの人、という感じなので見ておきたいなと思ったのだ。すると、書き込みが深く、それにちゅるんとした絵柄があいまってかわいかった。思わずシールを買う。

おなか減りましたね、とお昼ごはんとして駅前でインドカレーを食べることに。話しているとなんとなく2人の気分が重なりマッドマックスを見に行くことにする。ナオさんがスマホで席を予約してくださった。インドカレーのナン、完食できたことない。大食のわたしでも、だ。


梅田に移動して阪急百貨店のイベントスペースへ行く。ヘラルボニーが展示をしていて、CEOと写真家の方が無料観覧OKのトークをするらしい。ナオさんはその写真家の方とご縁あるらしく行くとのこと。わたしはヘラルボニーをスタートアップビジネスとして注目していて、気になるイベントだったのだ。

ヘラルボニーは簡単に言うと障がいを持っている方の作った作品をアートとして販売するなどしている会社だ。
わたしは近い親類に障がい者がいて、作業所に就業し、日々作ったパンやお菓子を販売している。作業所にはアート作品を販売している人もいるようで、いくつかグッズをもらったことがあり、トピックとして身近に感じていた。

ヘラルボニーのしていることは、これまで全国各地で小規模に行われてきたことと、中身としては同じに見える。それがこうして、注目事業として世界を見据え7億のエクイティ調達!やりようなのだよなー。
今、にわかに追随しようとしている事業者の姿をSNSで見かける。つまり市場拡大にまで貢献しているのだ。本当にすごい。

と、そんな風に注目していたのだ。

トークのお相手は齋藤陽道さん。写真家で、エッセイストで、プロレスラーで、聴覚障がい者なのだそう。当事者ということだ。
(プロレスラー!?)

トークセッションはどんな立場の方でも理解できるよう配慮されていた。齋藤さんの言葉はAIとタイピングでリアルタイム出力したものをモニターで見つつ、通訳さんの声で聞ける。全員の言葉は手話に通訳もしている。参加者は拍手を手話でするよう教えてもらう。会話はほぼタイムラグなく、スムーズに会場の時が流れていた。

トークを聞いて
意訳と意見、省略が入っています。

  • 齋藤さんは幼少期、「大人になった時、果たしてろう者がどんな仕事をするのか、自分の子どもの頃はイメージができなかった」と言っていた。それがきっかけで「はたらくろう者を訪ねて」というインタビューをしているとのこと。

  • ヘラルボニーのミッション「異彩を、放て」の「異彩」は障がいのことを表現している言葉だそう

  • 障がい者が表現することは今はマイノリティ。だが、ヒップホップのようなカウンターカルチャーのように、いつかはパブリックなものになるよう、伝えていきたい

  • 『世界への信頼と希望、そして愛』ハンナアーレントの一説の朗読が印象的だった。とても良かった。(しかし思い出して書き起こそうと思っても起こせない、なぜだ。)

  • 齋藤さんは16歳まで手話に出会っていなかったそう。そういうものなんだ!?

  • はじめに「拍手」の手話を教えていただいたので、音が出ない分みんな気軽に「拍手」をしていたように思う。みんなトークに反応しおしゃべりになってる感じがして、すごく良かった。

  • トークの一場面。どなたかが「しょうがい」とゆっくり発音した部分がAIによりモニターに「生姜煮」とタイピングされ、人の手で急いで修正されていた。

トーク終了後、ナオさんが齋藤さんに挨拶して写真を撮ったあと、わたしも手話で「ありがとう」を伝えることができ、嬉しい気もちになった。ボランティア部の歴史が人生で初めて役に立った瞬間。


映画の時間ギリギリだ。急いでステーションシネマへ向かってわたしがコンビニで飲みもの、ナオさんが発券とポップコーン係と二手に分かれて色々をゲットし、なんとか予告中に着席。

さぁ、マッドマックス!わたしはこのシリーズを見るのが初めてなので、かなり気軽に「すっきりアクションもの見るぞー」くらいの気持ちだった。しかし、これがなかなか。

ここから作品にも触れつつ思ったことを書きますが、ネタバレは含まれません。

メッセージを多く含む作品で、いま社会が関心を向けているテーマについて思わせるエピソードが多数含まれていた。(ただわたしはそれをメッセージとしてではなく、ストーリーを運ぶアイテムとも見えたが)
わたしはそういうことよりも、もっと表層的に事の顛末とアクション、膨大な資金が投入されているであろう完璧な世界観を楽しんだ。

前半はけっこう怖い展開でビクビクしていたのだが、中盤になり戦いを重ねるにつれて各キャラクターの魅力が浮き彫りになってきて、どうにも惹かれてしまった。全員死なないで和解して欲しいよう。みんなで仲良くケバブとか食べよーよう。

見どころは、ローテクなメカと退廃的な装飾物、ありとあらゆる手法の武器だと思った。


しかし多くの映像作品を見てよく思うことなのだが、登場人物が美しすぎてディテールが入って来ないことが多いのだよな。あらゆるご都合主義の中で一番違和感ある点だ。しかしマッドマックスはゲテモノキャラも多いのでその点没頭できた。

映画を観ていつも思うのが、きちんと感想を持ち批評するには自分の意見を信じる必要があるなということ。感じたことをまず受け取りそれを絶対的に評価することが一歩となる。
しかしわたしはどうもまず、そこが苦手だ。

たとえば今回の映画では序盤に「かっけー!」と思うシーンがあった。観終わったあとナオさんと話していると、ナオさんも同じ感想を持っていた。ここで初めて「あ、あれは当たり前ではなく『かっけー』で合っているのか」と思える。
感想や意見など違って当たり前、合っているいないの話ではない。理解しつつも癖になっている。
ずっとうまくできないことだ。

このせいで映画を見るのが苦手という人、世の中に一定いるはず。


観終わった後は大阪屋に寄り少し飲んで帰る。こんな私だが映画の感想を言い合うのは楽しい。


帰って寝た。

あれ?もう?一軒行ったんだっけ?
1週間以上後に書いたから忘れてしまった。とにかくおしまい。


今日のだからこうなる

日記は時間差で書いてたり、リアルタイムで書いてたり色々だ。だからたまに日付がかぶってる。5/29の日記、2回あるんだよね。しかも微妙に言ってることが違う。


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