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3.11 震災遺構

東日本大震災から8年半がたつ。津波が襲った地域ではいまだに土地のかさ上げや新しい町の建設で工事が続いている。一方で津波の脅威を後世に伝えるために被害にあった建造物を震災遺構として残していこうという動きもある。

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岩手県宮古市のたろう観光ホテル。4階まで浸水し、2階までは支柱を残して流出した。

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岩手県陸前高田市。町の大部分が津波に襲われた。もともとは松林が海岸沿いにあったが一本を残して流された。残った松は奇跡の一本松として震災遺構として残されることが決まった。至る所で工事がされていて徐々に新しい町ができてきている。9月26日現在で工事の進捗度は27%ほどだという。

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宮城県気仙沼市の気仙沼向陽高校。がれきなどもできるだけ当時のまま残されている。2枚目の自動車がひっくり返っている教室は3階にあり津波の威力を物語っている。屋上から海の方面を見ると巨大な防波堤の建設が続いている。

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宮城県石巻市の大川小学校。海からは3.8kmも離れているが、川を上ってきた津波が堤防を越え一体を浸水させた。1枚目、学校の奥にはその川が見える。

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宮城県東松島市のJR野蒜駅。2枚目の赤い線の位置まで津波が来た。

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宮城県仙台市の荒浜小学校。2階の足元の高さまで津波が襲った。震災前、学校の周囲には町があったが今はなにもない。

既に遺構として公開をしている施設もあるが、いくつかはまだ公開に向けた工事、保存作業を行っている。

途中で地元の人の何人かと話すことがあった。大船渡のキャンプ場の管理人のお父さんは高台にあるそのキャンプ場が自衛隊の支援の拠点に使われたことや仮設の中学校として使われていた時のことを話してくれた。陸前高田の海鮮料理屋の大将とは趣味の話で盛り上がった。震災前、店は海の目の前にあったと話してくれた、今は海から少し離れた場所の新しい店舗で営業している。

被害のあった場所を巡ってみて完全な復興はまだまだなのだと感じた。海岸沿いでは至る所で新しい町の工事、巨大な防波堤の建設が行われていた。それでも少しずつ震災から立ち直ってきてもいる。

写真:2019年9月25日~28日撮影

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