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祖母と大晦日と宝くじ

今年の大晦日は何故か年末特有のあの雰囲気がない。それは祖母がもうこの世にいないからだろう。

今年の3月に祖母は亡くなった。星になったとか天国に行ったとかそういう言い方はしたくない。この世からいなくなったのだ。もう会えなくなったということ。それ以上の意味はない。

大晦日に祖母の家に行き手巻き寿司を食べるのが、わたしの家族の恒例行事だった。ひょうきんな祖母が次はどう笑わせてくれるのかいつも楽しみだった。

祖母は”ざじずぜぞ”を言うのが苦手で”だじづでど”になってしまう。”ゼブラ”は”デブラ”になってしまう。”雑巾”は”どうきん”に。

ハワイに旅行に行ったという話をすれば、「外人さはおっぱ〇ポロりんか?」とポロりんのジェスチャー付きで言ってきた。

祖母の誕生に100均で買ったマグカップをあげたときは、涙を流して喜んでくれて真っ黒の”どうきん”で涙を拭いていた。

そんな祖母にもう会うことができない。大晦日になってより一層現実味をおびる。

来年には祖母の家は売りに出されるだろう。毎年一緒に手巻き寿司を食べたあの家が。

わたしが買った宝くじは大晦日の今日ただの紙くずと消えた。当たっていれば祖母の家と交換できたのに。そんな希望も大晦日の今日消えた。

これからも毎年大晦日には祖母のことを強く思い出すだろう。わたしにとって大晦日とは祖母との思い出の日なのだ。



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