人生死ぬまでの充電期間⑤〜盆栽園での修業〜

 3ヶ月のアメリカ生活から帰国して、僕は盆栽と出会う。どのようにして盆栽をすることになったのか、そしてどのような修業期間だったのか書いていきます。

盆栽との出会い

 ピーターさんたちのお店は観葉植物も取扱ってい た。僕はそれに水をあげたりしていて、自然と植物に興味を持つようになっていた。そして、ピーターさんは「都会には植物の世話をして欲しい人はたくさんいるから、そういう仕事を日本で見つければ、アメリカでもチャンスはあるかもしれないね」と僕にアドバイスをくれた。

 僕は3ヶ月アメリカで過ごして、海外で住むこと、働くことに大きな憧れを抱いていた。もしかしたら、自分の居場所は日本ではないのかもしれないとさえ思っていた。そこで僕は、日本に帰国してから植物関係の仕事に就こうと考えていた。でも、どうせなら日本人ということを活かせたらいいなあと考えていたら、『盆栽!!』と頭に閃いた。

 盆栽は近年海外でもBonsaiとしてヨーロッパを中心に海外でも人気が高まっており、盆栽ができたら海外で働くチャンスがあるんじゃないかと直感で思ったのだ。すぐにインターネットで調べてみると京都にも盆栽園があることがわかった。早速メールを送り、盆栽園へ訪ねることになった。そして僕は盆栽園へ行き、初めて盆栽というものに出会った。

盆栽園で修業開始

 当時の僕は怖いものが何もなくなんでも出来るような気がしていた。すぐに、ここで勉強させて欲しいと、後に僕の先生となる人にお願いをした。先生は連絡するから数日後また来て欲しいと言った。3日くらい経ち、連絡が来たのですぐに盆栽園に向かった。先生と面談し、僕を受け入れてくれることになった。それから、僕の修業生活が始まった。

 僕は全く盆栽に対する知識もなかったし、まったくのゼロからのスタートだった。修業というものがどいうものなのかも知らなかった。この業界のことも全然知らなかった。知っていたら怖じけずいて、やっていなかったかも知れない。無知というのはある意味最強だと思う。

修業生活

 僕は週に5日くらい通い、週末はバイトをしようというくらいの気持ちでいた。しかし、そんな甘いものではなかった。最初の一ヶ月は休みは週に5日だったが、だんだんと休みが減っていき、3ヶ月もすると休みは月に2日になった。最終的には月に1日のときもあったりした。一応、時間は9時から17時まで。しかし、後々気づくのだが、これはこの業界ではかなり緩い方である。

 一般的に盆栽園に弟子入りすると、住み込みで朝の掃除から始まり夜遅くまで盆栽の手入れをして学ぶというのが普通である。しかし、このやり方では近年なかなか弟子入りする人がいないので、研修生制度という弟子入りよりもハードルを下げた制度が作られた。僕はこの研修生として、受け入れてもらったという方が近いのかも知れない。

 一年目はとにかく初めてのことだらけで、あっという間に過ぎていった。季節によってやることが決まっているので、まずはどの時期に何をするのかというのを覚えるのが大変だった。

 二年目、三年目を経験して、知識は増えていったが盆栽の形を作る為の”センス”に関しては、なかなか上達を感じられなかった。このセンスがないと、針金掛けをして整枝するのだが、そのときに上手くまとめることができない。正直、三年でもう卒業しようと思っていたが、三年では全然ダメだった。

 コツを掴み始めたのは四年目に入ってからだった。明らかに今までと感覚が違った。今までの点で散らばっていた知識と経験が線になったような感覚だった。結局、五年の修業期間を経て卒業することができた。

(五年間のことは細かく書くととてもじゃないけど書ききれないので、かなりコンパクトにまとめたけど、本当は色んなことがあった。体力的にも、精神的にもギリギリの時もあったけど、辞めようと思ったことはなかったかな。どうして耐えられたのか自分が一番知りたい。)

そして僕は卒業後、すぐにニュージーランドへと向かった。(続く)

 

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