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バンコク黙示録2010(1)

まえがき

 これは私が2010年4月末から5月15日までバンコクに滞在し、タクシン派の市民団体・反独裁民主戦線、通称赤シャツ隊が占拠したルンピニー公園周辺を取材した記録である。一応日本では市民団体と定義されているが、実際にはタクシン元首相の支持地盤の北部や東北部の農民の集まり。2006年9月19日の軍事クーデター以来、「タクシン派潰し」の名の元に様々な不利益をこうむっていた人々の寄せ集めであった。2007年末に行われた総選挙でタクシン派政党の人民の力党が勝利。しかし翌2008年には人民の力党は解党処分を受け、反タクシン派のタイ民主党のアピシット党首が第35代(歴代27人目)の首相の座に就任。それ以来総選挙を求める声は激化し、2009年のASEAN+3サミット会場乱入などの行動を受けて非常事態宣言が出るなどしたが、結局幹部がデモ活動停止を宣言、事態は一旦沈静化した。
 だが、2010年再びデモ活動は開始され、ルンピニー公園占拠に象徴される様々な混乱が生じ、5月19日の強制排除とそれに連なる暴動が起きた。
 日本から見ると北部や東北部の人々が全員タクシン派でバンコクの人々は反タクシン派と捉えられがち。しかし、実際には赤シャツ隊はバンコクで普通に働く東北部出身の人々の生活を脅かしていたし、軍鎮圧部隊はバンコク市民の生命を脅かしていた。
 不正な選挙、民主デモ、鎮圧、そして軍事政権樹立というのがこれまでのタイ社会のサイクルとも言える。2019年3月24日の総選挙も極めて不公平なもので、タクシン派のタイ貢献党は比例代表制で理屈をつけられ1議席も取れなかった。その一方で躍進した新勢力の新未来党も、党首タナートン氏が選挙管理委員会からの起訴を受け、憲法裁判所から議員執務停止処分を受けるという弾圧を受けている。
 これからどうなるかは私はどこにも書いていないが、未来を占うには過去を漁るべし。この取材記録が皆様の参考になれば幸いである。

以下本文。

◎2010年4月27日あたりのバンコク

    私の乗ったデルタエアーは4月26日午後成田発、その日の深夜にバンコク着で、ホテルにチェックイン出来たのは現地時間で午後2時は回っていた。予約したホテルがまだ出来たばかりで知られておらず、しかもアピシット首相の私邸の近所のため交通規制が多く、ホテルに行き着くまでにタクシーがかなり回り道をしてしまったからだ。

 ホテルは清潔な造りでスタッフの対応もよかったのだが、何故かエレベーターが無かった。そして私は最上階の5階に案内された。
「今日はいいけど、毎日5階上り下りするのやだから2階か3階の部屋に替えてもらえる?」
「分かりました、それじゃ明日部屋を用意するから、移動する準備をしておいて下さい」
実直利発な大卒イサーン人青年のリー君はそう言い残して去っていった。

 今考えると、独身男性お一人様ということで妙な気を効かされてしまったのかもしれないが、とにかく疲れているのでシャワーを浴びてベッドに横になった。ちなみにシャワールームは文字通りガラス張りの丸見えで、なんだかラブホを連想させた。

 ベッドに横になってしばらくして、ベッドがかすかにブルルルル……と振動した。
バンコクで地震でもあるまいし、近所で突貫工事でもやってるのかなと起き上がり、窓の外を見たが特に何もなし。

 翌朝ホテルの従業員である、これまた大卒でアラビア語が得意な独身アラサー眼鏡っ娘のオーイちゃん(バンコク人)に、
「昨夜何かあったの?」と質問すると、
「サラデーンで爆発があったのよ」とのこと。
「いや昨夜ベッドが振動したんだけど」
私の言葉を傍で聞いていて、「僕は別に何も感じなかったけどなあ」と首を捻るリー君。

 どうやら5階だったからこそ振動を感じてしまったようだ。報道では赤シャツ隊がBTSの線路にタイヤを置いたことのみが報じられていたが……
とにかく27日の午後2時半くらいまで、BTSは運休していた。当然どこにも行けない。
仕方なくオーイちゃんと雑談していた。

 その日の夜、ホテルのオーナーらしき背の高いハンサムな男性に、
「サラデーンで爆発があったっていうけど、なにも報道されてない。どうしてですか?」
と訊くと、彼は答えにくそうに、
「当局からの規制がマスコミに入っていて……」
とちょっと恥ずかしそうに言った。

 話は戻るがオーイちゃんと雑談中、私が、
「赤シャツに日当1000バーツ出せる人がいるなら、その前に奨学金を出すとか職業訓練を受けさせるとかすればいいのに」
と言ったら、
「それは解決にならない。大卒でもバーで働く人がいるから。タイ人は普通のオフィスで働くのが嫌いなの。それに比べてバーで働いた方が楽しいし、一日2000バーツになるからそのほうがいいのよ」
との答えが返ってきた件の詳細については以下に書くことにする。

◎2010年4月48日あたりのバンコク

「タイ人はオフィスで働くのが嫌いなの。普通のオフィスではプレッシャーがあってとても辛くて。それに比べればバーで働いた方が楽しくて快適。それに一日2000バーツ貰えるんだから」
と大卒32歳バンコク人のホテル勤務・オーイちゃんは言った。

 だから奨学金を出したり職業訓練を施しても東北部や北部の貧困層の問題は解決しないのだということだ。
 タイ人が普通のオフィスで働くのを嫌うというのは本当。日本人だって、「責任とか部下とか任されて楽しくて楽しくて」と心から感じている人はあまりいないと思う。それにタイや中国など大陸部の人間はたとえ現在大企業勤務でも「いつかは起業を」と考え副業を持っているのが珍しくない。タクシン元首相も警察中佐(現在称号剥奪)という階級だけなら地元署の捜査部長レベル。安月給を副業で補おうと何度か失敗した後携帯電話サービス大手のAISで成功、新興富裕層筆頭に。 

 だが、「バーで働いた方が楽しくて快適」?これは実際にバーで働いている女性達に訊いてみなければ分からないと思い、近所にあるソイ・カウボーイという歓楽街に行ってみた。

 そしてそこで働く女性達にした質問は、「普通のオフィスで働きたいですか」。店内は爆音で音楽がかかっているので会話が成立しない。タイ語の筆談でのやり取りとなる。
そこで得た答えは、

「働きたいけれど、中学しか出ていないので知識がありません」
「働きたいです。ここは友達があまりいないので、あまり楽しくはありません」
「働きたいわよ、だってあなたが女だったらこんな仕事したいと思う?」

「こんな仕事」とは、つまり売春だ。肉体的にも辛いし、病気になる可能性もある。それに幾つになっても続けられる仕事でもない。彼女達の人生一発逆転は、仕事をしながら優しいガイジンの旦那様をつかまえること。ちなみに彼女達、つまり地方の労働階級は履歴書を書けないし文書管理の基礎も知らない。逆に言えばそれらを必要としないレベルの仕事にしか就けない。大卒OLの世界はテレビドラマでしか知らないが漠然とうらやんでいると断言してもいい。

 タイでは金持ちが貧乏人に騙されて云々という話はまず聞かない。それは富裕層と貧困層の接点がほとんど無いことを反映している。
 ちなみにオーイちゃんはソイ・カウボーイに行ったことが無い。前述のリー君に到っては、私に教えられるまで存在すら知らなかった。リー君はイサーン人だが、「そこに行くと同郷の女性がたくさんいるよ」と言うと彼が気絶しそうなので止めておいた。世の中、知らないほうがいいことが沢山ある。 ともかく、衝突以前の「相互理解欠落の惨状」はご理解頂けると思う。

 ところで、4月28日のことだが私はタイ語のキーボードを買いにラーマ9世駅近くのフォーチューンシティという、日本で言えばヨドバシカメラにあたる家電製品売り場に出かけた。「タイの秋葉原」パンティッププラザの方が規模は大きいのだが、赤シャツ隊占拠地区に近いので一応そこは避けた。
キ-ボード売り場はほどなくして見つかったが、気に入ったものの箱の裏を見れば中国製とある。中国製品になんとなく不安を抱いている私は店員さんに訊いた。

「タイ製のものはないんですか?」
「(店員さん、同僚に確認を取ってから)ありません。ここにあるのは全部中国製です」
「え、全部?」
「はい全部です」

 それなら仕方がないと思い、中国製のキーボードを買ったが、タイ国内で生産すると人件費がかかるから中国で作っていることぐらいは想像がついた。
「ということは、東北部や北部には仕事は回ってこないということで……」

 タイは国際競争力を低下させないため、人件費をかなり無理して抑えている。
 そのツケが廻り回って今回のデモ騒ぎになったという一面もあるのでは、と考えるのは私だけだろうか。

◎2010年4月29日あたりのバンコク

 実は夏季にバンコクに来たのは初めてだった。来て分かったが、これがシカゴのゲットーなら暴動が起きる暑さだ。だからといってホテルにこもっていてもエアコンが寒い。お前ええ年して温度調整もようせんのかと言われればそれまでだが、リモコンをどういじっても寒いものは寒い。

 それとはまた別の話だが、テレビをつけてもガイジン向け衛星放送しかやっておらず、タイ語放送が見れない。
 そのことをホテルの人に伝えると、 「外国人がタイ語放送を見ることは想定してなかった」 との答えが返ってきたが、マイナー言語ゆえそれも当然だろうと思った。

 在タイ外国人の「タイ語喋れる度数」と「お財布の中身」が反比例しているのは何故だろう、と思いながら先日爆発のあったというサラデーンに行く。「なに、デモ隊占拠?それで買春に支障は無いのか?」という男らしい方々からの命によるタニヤ通り偵察である。
 乗換駅であるサイアムから、閉鎖されたままのサイアムパラゴンが見える。訪タイ中、開いたことはなかったと記憶している。

 実際に降り立ってみて兵隊や警察官がいるのには驚かなかったが、若い兵隊の持っている銃が妙に安っぽかった(おそらくゴム弾銃)ので、
「その銃は本物か?」と訊いてみたら、ヤンキーの先輩に呼び出された後輩ヤンキーみたいに怯えられてしまった。
あれ、自分そんな恐かったかなと悩んでいるうちに、その兵隊さんの上司らしき体の大きなタイ人男性に、
「公務員には職務上守秘義務がありますので……」
と至極まっとうなことを言われながら割って入られた。

 そのタイ人男性は特にそれ以上私に何か言うこともなく、さっさと別のほうに行ってしまった。私もとりあえずタニヤ通りに降りて見る。

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サラデーン駅を降りたところにいた兵士達。

 知らない方もいると思うので説明しておくと、タニヤ通りは日本人駐在員向けの、カラオケクラブと称したおねえさん連れ出し所が立ち並ぶところだ。それゆえに昼間は閑散としているのは分かるが、閑散としすぎている。
 サラデーン駅の真下にシーロム通りがあって、そこに赤シャツ隊が入ってこないように軍や警察が警戒しているのだが、手榴弾が投げ込まれたのはタニヤ側という話は本当のようだ。

 丁度昼飯時なので「多久味」という和食店に入り、ランチセットを食べながらビールを飲む。しかし他人事ながら心配になるほど客がいない。

 店を出てから通りを挟んで反対側にあるシーロムコンプレックスの方(こちらは警備が手薄だった)に向かうと、タイの国旗を手に持った人達が群れているのが目に入った。
 タクシン派でも反タクシン派でもない「いろんな色グループ」だ。会社の休み時間を利用して来たのか、ネクタイをしている人もいる。皆それなりに裕福そうで、赤シャツ隊の人達と比べて肌の色が薄い。バンコクの新富裕層なのだろう。 

 一人の女性がスローガンみたいなものが書かれたピンク色の大きな紙を掲げていた。ひらひらさせているので読みづらい。いったん写真に撮ってから読むと、
「アタシは刑務所から逃げる大統領を頂くチンピラ主義は要らない」と書いてあった。

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いろんな色グループの小規模なデモ。

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