差別された話
大昔にイギリスに行ったことがある。正確な年月日はあえて書かないが時期は5~6月。この時期のイギリスが一番快適な季節だと聞いて行ってみたのだが、丁度総選挙の時期だった。
ヴァージンアトランティック航空でヒースロー空港に着いてトラベラーズチェック(というものが昔旅行者の間で愛用されていた)をポンドに両替した時、担当者の30歳前後と思しき白人男性が投げるようにカネを渡したので「こいつ、俺が日本人だと思って舐めてるのか?」とカチンと来たが、決めつけるのも問題がある。
そこでしばらく両替所から少し離れたところで他の白人旅行者にどんな態度を取るのか観察していたら、前述の白人両替担当者は誰に対しても投げるようにカネを渡していた。
しかもよく見ると彼は非常につまらなそうな面持ちで仕事をしていた。今考えると異国に着いて何をのんびり観察していたのだろうと我ながら疑問だが、「ヒースロー空港両替担当というのは左遷の地なのか」と思い至った。
ロンドン観光的な話は割愛するが、道を歩いていたら小太りの白人のオバサンがニコニコしながら話しかけて来てパンフレットのようなものを見せながら意味不明なことを説明し始めた。
私の英語リスニング能力の不足もあり正直戸惑った。だがテーブルや暖房器具らしきもののパンフレットを見せられ、「生活保障がなんとか」と聞き取れた時、このオバサンは私に「労働党が野党になればあなたの生活も向上しますよ」と言いたいのだとようやく理解出来た。
当時茶髪で右眉と左耳にピアスをつけナイキのウインドブレーカーを着て昼間からうろついていた私は低所得東アジア系移民と間違われていたのだった。当時から労働党は露骨に非白人層を票田にしていた。
「申し訳ないのですが私はこの国で選挙権はないのです」
「あっ…」
私が外国人だとやっと認識したオバサンは、私に対する興味をふっと失くした。「こんな英語が下手なイギリス国籍がいるわけないだろう」と思いつつ立ち去ったが、その後結構いることを知った。
色々話をはしょるが、スコットランドのインヴァネスという人口5万人程度の街に立ち寄った時、ロンドンやエジンバラでは決して感じなかった鋭い視線をすれ違う人々から感じた。「またチャイナか」という視線だ。
インヴァネスはネッシーで有名なネス湖の近くにあり、町総出でネッシーを町おこしに利用しようとしていた。どういうことかというと、街のあちこちに巨大な笑顔のネッシーの木彫りがあるのだが、センスがイマイチ。
「ここの人達、ネッシーが存在しないことを知っているんだ…」
それを悟った私はネス湖に行くのを止めた。「またチャイナか」の人達も私が日本人だと知ると態度が遠慮がちになった。この辺りが中国人の不満になっていることも理解出来るが、イギリス人にとって中国人は「旧植民地から来た人達」で日本人は「イングランドに勝った人達」
「イングランドに勝った人達」と書くとサッカーの話でもしているように見えるかもしれない。だが旧日本軍がイングランド人部隊を撃破し捕虜にした上に奴隷扱いしたことは、日本では「今なお恨んでいる人達もいる」と報道されるが、日本が第二次世界大戦で敗戦してもなお「イングランドに一度は勝った」は歴史的なことらしかった。
特にイングランド人に何百年も馬鹿にされ続けたスコットランド人にとっては「旧日本軍の勝利」は特別な事件らしかった。「暴力の連鎖を断ち切って平和な世界を作るのです」的な人達ですら中国人を見下し日本人はそれなりに尊重した。
Xでは東南アジア中心に刑事事件をなるべく淡々と紹介していくという基本方針があるので欧米の話はもっと詳しい人々にお任せしているが、アジア系差別を「黒人男性が中国人女性を殴る30秒程度の動画」で理解しろと言われても無理がある。スタンガン拷問動画で中国人を語るようなもので、私もさすがにやらない。
話をインヴァネスに戻すと、昼食はいつもマクドナルドで済ませていた。夜は排骨麺を食べていたような記憶があるが定かではない。ただ、中華料理店に入ると中国人と間違われて親切にされることもあった。
で、3列あるうちの1列に並んでいたのだが、私の番が来たと思いきや目の前に「CLOSED」と書かれたプラスチックボードが置かれ、バイトと思しき金髪の小娘が背中を向けて店の奥に駆け込み姿を消した。
「チャイナに食わせるメシは無い」という露骨な意思表示。差別の恐ろしさは、いくらカネを積んでもメシが食えないということ。
他の店員に文句をつけようと思い辺りを見回したが誰も居ないし、「お客様どうされましたか?」と寄ってもこない。完全に「オレとオレ以外」の空間で心細くなったが、同時に苛立ちを感じて「なにやってんだバカヤロウ」と日本語で呟いた。日本語なんて誰にも分からないだろうと油断したのだが、甘かった。
店内の空気がすっと冷え込み、「あれ?なんだろう」と本気で悩んでいたら、右隣の列の前から3番目のおじさんと4番目のおじさんが列に間を空けて「こっちに入りなさい」と無言で手招きした。私は会釈しながらやはり無言で列に割り込ませてもらった。
「CLOSED」と書かれたプラスチックボードが目の前に置かれ、そして列に割り込ませてもらうまで5秒未満。
日本人も悪い意味の外国語から先に覚えてしまうが、欧米人も同じで「バカヤロウ」や「コノヤロウ」という日本語を知っている。私は結果オーライで食いはぐれることは無かったが、「話が通じて良かった」ではなく「一歩間違えば危なかった」と内心冷や汗をかいた。
外国人男性が怒ると独得の威圧感を日本人は感じるが、外国人側も怒る日本人男性は恐いらしい。だからといって我慢していたら差別されるだけなので難しい。
ロンドンに戻ってヴィクトリア駅近くで一番安い宿に泊まったらホテルスタッフが全員フランス人で、ホテルのロビーにいつも溜まっている人種不明の色の浅黒い人達がいて、彼等は夜中に「明日銃を持ってきます!」と大声で誰かに報告しているので「あの人達はなんなの?」と一番まともそうなホテルスタッフに訊いたら「彼等はギャングだよ」と教えてくれた。
要するにコルシカ人マフィア。安宿に泊まると色んな人達に会えるのは世界共通だが、他にも日本人男性客2人組がいた。欧米人、特に女性は近寄りもしなかったその安宿だが、大阪から来たという2人組に「あいつらコルシカ人マフィアだって」と話しても「なるほど、宿代が安いとこにはなんか出るんやな」と大して気にしていない様子だった。
私は宿を変わろうかと悩んだが、ホテル代の安さに負けて居続けることにした。フランス人ホテルスタッフは「あいつは別の場所に移動する」と思っていたらしく、朝の挨拶をしたら「あれっ?まだいたの?」という顔をされた。
コルシカ人マフィアは映画のようにカッコよくも強そうでもなく、ソーホーの中国人グループと対立していたからか、ボスの太った老人は私が挨拶しても「あっち行け」と追い払うような仕草をする陰険な奴で、最初は年金暮らしのイギリス人かなと思っていたら英語は全く出来ず、そのくせ夜になると娼婦を呼んで大声で楽しそうに騒いでいた。
…というエピソードを原稿として某関係者に見せたら面白がってくれたものの「ダメだよビリーさん、これじゃあなたがね、カッコよすぎるんですよ。ライターならもっとズッコケた話を書かないと」とあっさりボツにされた。
ボツにされたら引き下がるしかないのだが、「ズッコケろと言われても一歩間違ったら死んでたかもしれないのに。大体ズッコケてる余裕なんて無かったのにどんな話を書けと言うんだ?」という不満と疑問が残った。
しかし、当時愛読していた某サブカル雑誌に掲載されていた記事を読んで疑問が一気に氷解した。
「頭を坊主にして北欧に行ったらスキンヘッド狩りに巻き込まれあっさりフクロにされた。日本のサムライ弱かった!」
短文記事だが大体こんな話だった。
「日本のサムライ弱かった!」というオチは記憶に残っている。その記事を書いたライター氏が実際にフクロにされたのか怪しいのだが、「日本のサムライ弱かった!」と書けと言われた気がした。
日本disりに協力してもらわないと困るよ、という圧力は今でも受けている。しかし祖先にサムライは居ない。母方は商売人で父方は農家だったと聞いている。日本のサムライ弱かったとも強かったともいう資格は私には無い。
ただ、サムライdisりはある方面で好まれるらしく「サムライブルーと言っても祖先は大体百姓なんだから百姓ブルーが正解!」みたいな記事を書いているところがある。彼等は「日本の百姓弱かった!」と書いても大喜びするだろう。
で、その百姓の寄せ集めに負けた国どこだっけ。イングランドだけじゃないよねと煽ってこの文を一旦終える。日本人は日本で一番差別されている気がする。レスは歓迎します。
記事作成の為、資料収集や取材を行っています。ご理解頂けると幸いです。