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推しを庇って死にたい

この言葉は、高校2,3年で同じクラスだった女の子が、友達と話しているときに出てきた言葉だった。別の友達と話していた俺は、この言葉が耳に入った時衝撃を受けた。
この言葉に深く共感したのだ。俺みたいな早く死にたい人にとっては最も望ましい死に方だと思ったのだ。

死にたい人にとって、死に方はいろいろなものがあると思う。その中で最も一般的なものは、自ら命を絶つ「自殺」だろう。首を吊ったり、動脈を切ったり、密閉空間で煉炭を焚いたり、線路に飛び降りたりと、自殺にもいろいろある。
しかし方法はたくさんあるが、いずれの死に方にせよ、自殺とわかった時点で、「何かから逃げるために死んだ」と言うカッコ悪さがバレてしまう。これはよくない。

(死んだ後にどう評価されようと気にならないだろなどと言う人もいるが、それは暴論である。ほとんどの老人が遺産の振り分けを考えるように、ひとは死後の人間社会のことをある程度想像して死ぬ生き物である。であれば、死後の人間社会を想像したとき、死後の自分の評価を気にするのはある程度当然であろう。
さらに死後の社会を考えると言う点で言うと、自殺というのは、身近な人に少なからず責任を感じさせてしまい、苦しませてしまうと言う問題もある。その点で考えても、やはり自殺は望ましい方法とは言えないであろう。)

さて、自殺がダメなら、他殺されれば良いのではないかと言うことになる。まさしくそうである。もちろんそんなに都合よく人に殺されることはできないが、他殺であれば「自ら逃げて死んだ」と言う汚名は回避でき、また身近な人間も自分を責めることはない。
人に殺されるためには、人に相当恨まれるか、偶然猟奇的な人間に出くわす必要がある。前者は準備が必要で、後者は豪運が必要といった形になるだろうか。いずれにしても自殺よりも実現性と言う観点ではよくない。

これらを踏まえると、実現性と言う観点では自殺、かっこよさと言う観点では他殺が良いということになるだろう。

しかし他殺をさらにかっこよくする方法がある。
それが推しを庇って死ぬと言う方法である。これは他殺の中でもかっこよさがずば抜けている。基本、他殺はカッコ悪くはないが、カッコ良くもない。ここに人を守るために死んだと言う事実が付け足されると、カッコ良い死に方となる。しかもその守った相手が推しであれば、推しにとっての自分は唯一の存在となれるという超特典も付いてくる。

だから俺は、推しを庇って死にたい。

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