【神奈川のこと43】集おう!地元の居酒屋「あさくま」に(鎌倉市津)

自宅から徒歩5分、湘南モノレール西鎌倉駅から徒歩2分。地元の居酒屋「あさくま」が閉店してから、一年が経った。よって、これを書く。

「あさくま」は、昭和63年(1988年)12月に誕生。翌月にはわずか一週間だけの昭和64年を迎えるという、けだし平成の夜明け前であった。

当時、高校3年生だったので、地元の居酒屋に特に興味はなかった。

20歳の時に、一度だけ訪れた。鎌倉リトルリーグ時代の仲間を呼んで、地元でクリーニング店を営む監督さんを招いての宴会を開いた。その時、地元の2つ年上の先輩が3人で飲んでいたことを覚えている。その中の1人は同級生のお兄ちゃんだった。

20代は、酒を飲むということにあまり興味がなかったので、自ら進んで地元の居酒屋に寄るなんてことは考えもしなかった。酒を飲むのはたいがい会社の人たちと、東京かせいぜい横浜辺りで、誘われたら付き合う程度だった。

なので平成8年(1996年)、26の歳まで、実家から東京に通勤していたが、ついぞ「あさくま」に寄るということはないまま、結婚し、鎌倉を出た。


それからおよそ15年の月日が経ち、平成25年(2013年)、紆余曲折を経て地元、西鎌倉に戻ってきた。湘南モノレール西鎌倉駅すぐ横、かつてテニスコートのあった場所にマンションが建てられたので、そこに入った。

15年ぶりの地元が嬉しくて、すぐに小中学校時代の仲間を集めて宴会を開いた。マンションのすぐ隣に「美村(よしむら)」という、1つ上の先輩の家が営む蕎麦屋があり、そこを貸し切った。

そして、二次会で訪れたのが「あさくま」であった。同級生のやっこが昔、アルバイトをしていたことから、予約してくれたのだ。20歳以来、実に23年ぶりであった。

その会が大いに盛り上がり、中学校卒業30年を記念する学年全体の同窓会をやろう、ということになった。そしてその幹事会を毎月、「あさくま」で開いた。お座敷を貸し切って、そうね毎回10人ぐらい集まってたかな。ただ飲みに来るだけの輩もいたが。いいさ、それでいいさ。

平成27年(2015年)、鎌倉プリンスホテルで開催した鎌倉市立手広中学校2期生の「卒業30周年記念同窓会」は無事成功。

と同時に、果せるかな「あさくま」の常連さんの仲間入りをした。

一人で仕事の帰りに「あさくま」に寄るようになった。

東京や横浜ではなく、ゆっくりと気兼ねなく、愛する地元で酒を飲みたい。

20代の頃には考えられなかったことだ。

その後も地元の蕎麦屋「美村(よしむら)」から二次会「あさくま」という地元同窓会を何度となく開いた。

朝熊 憲子さん(以降、のりこさん)が、女主人として、開店以来一人で店を切り盛りしていた。のりこさんは、東京は蒲田の出身。お祭りが好きで、若かりし頃の法被姿の写真がお店に飾ってあった。いや~、間違いなく「粋でいなせ」であった。東京の下町言葉を話し、酔客の扱いも手慣れたもんであった。

「あさくま」は閉店が早い。お客さんがいなければ21時ごろには閉めちゃう。たまに早く帰ることができると、モノレールの改札を出て、左を向く、店の灯りがついていたら、寄る。

ガラッと店の扉を開ける。

「こんばんは」

「あら、小林君、お帰り」

そう、のりこさんはいつも「お帰り」と言って迎えてくれるのだ。

テーブル席が2つにカウンター、その奥が小さなお座敷というこじんまりとした店内。

座る場所は、のりこさんが「ここどうぞ」と半ば強制的に決められる。

すでに数人の常連さんが飲んでいる時もあれば、誰もいない時もある。

とにかく、その場にいるお客さん同士で勝手に会話は展開されるのだ。

何も言わなくても、瓶ビールにグラスが出てきて、のりこさんが注いでくれる。のりこさんも交えて、その場にいるお客さんと乾杯。とりとめのない会話の応酬。地元で飲んでいる安心感。頭と心が一気に切り替わる。

のりこさんと二人だけの時も結構ある。そんな時には、二人で色んな話をした。誰にも話せない心の内を、のりこさんには話すことができた。お店を出る時には、いつものりこさんとハイタッチをした。

令和元年(2019年)の年末には、手広中学校の1~3期生の3学年が集っての忘年会も行なった。実に楽しい会であった。

「小林君はね、てびちゅう(手広中学校の略称)の生徒会長だったの。それでね、いつも地元の友達と宴会やってくれるの」

私の知らない常連客がいると、のりこさんは決まってこう紹介してくれた。

昨年の3月6日。いつものように「あさくま」に寄った。その日で、入れていたボトルが終わった。

「それじゃ、のりこさん、また来ます」

「はい、お疲れ様、またね」

いつものように、のりこさんとハイタッチをして店を出た。

それから約10日後の3月18日。

朝、ベッドで目覚めるとメールが届いていた。

かつて「あさくま」でアルバイトし、私と「あさくま」を繋いでくれた同級生のやっこからだった。

「あさくまの憲子さんが亡くなったの。

夜分にごめんね。

びっくんには早く伝えておこうと思って」

やっこの実家は「あさくま」の目の前にあり、のりこさんとやっこのお母さんは同い年ということもあって、仲が良かった。それですぐさま知らせが入ったようだ。

目を疑い、早朝にも関わらず、やっこに電話をかけた。

寝起きのやっこに事実確認をして、電話を切る。

あまりにも突然のお別れであった。


地元での行きつけの店であんなに良くしてもらえたなんて、今思うと夢のような時間であった。

そして創業約30年、その最後の7年間を常連として過ごせたことは幸運であった。

現在、「あさくま」の跡地は、居抜きで新しいお店となっている。一度だけ訪れてみた。

中は、壁の色を塗り替えたりして、これまでとは違った趣である。

ただ、店主の計らいからか、出入口の上のフリスビーが残したままであった。

通っていた当時は全く気にしていなかったフリスビーの存在が、ああして、それだけが残されていると、すべての思い出が凝縮された象徴のように見えた。

集おう!地元の仲間よ。我らが地元の居酒屋「あさくま」に。

せめて、心だけでも。

追伸:愛しき常連の皆さん。のぶさん、みのさん、ゆたか兄さん、まゆ、かわきたさん、たかこさん、まちゃろけさん、ゆうこさん、りょうさん、おおたにさん、みずのさん、和田先輩をはじめとする2つ上の先輩方。そして、きよしさん。




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