【神奈川のこと37】貯水タンクのある風景(鎌倉市西鎌倉、藤沢市片瀬山)

おらが街には、大きな貯水タンクがある。

それは、鎌倉市と藤沢市の市境の山上に、どっかりと鎮座している。

昭和53年(1978年)1月に、横浜の根岸から西鎌倉に引っ越してきた時にはもうすでに存在していた。灰色の土台の上に、クリーム色のタンクがお椀をひっくり返したように乗っかっている。その色と形は記憶にある限り、初めて見た時以来、何も変わっていない。

40年以上見続けてきた風景なので、日常では、その存在を意識することはない。「ああ、今日も貯水タンクがあるな~」なんて感慨もない。当たり前に存在しているだけだ。

ただ、ふとした瞬間、まるで強い磁石に引き寄せられるように心を奪われてしまうことがある。

例えばそれは、朝、出勤のために湘南モノレールに乗る。進行方向に背を向けて西側の窓側の席に座る。すると湘南深沢駅と湘南町屋駅の中間地点で、遠くに貯水タンクが目に飛び込んでくる。

鎌倉山のトンネルを通り過ぎたら、東京へ向かう仕事モードに精神的なスイッチの切り換え作業を行うのだが、その矢先、目に飛び込んでくる貯水タンクの存在は、「地元に引き返したい」という精神状態にいとも簡単に引き戻される。

貯水タンクは、強い磁力を放つおらが街のランドマークなのだ。

中学生か高校生の頃に、一度、夜中に敷地内に忍び込んだ記憶がある。誰とどのようにして入ったかはもう忘れた。ただ、夜の闇に紛れて貯水タンクの上で過ごした時間は、スリルに満ちた冒険であった。あれは夢だったのか。

年が明けて、悲しい知らせが立て続けに舞い込んできた。

いずれも小中学校時代の同級生の身内が亡くなったという知らせだ。

悲報はいずれも東京の仕事場にいる時に入った。彼らの悲しみに想いを馳せると、いてもたってもいられなくなり、早く地元に帰りたいという焦燥感が募る。そういう時、心のスクリーンには必ず貯水タンクが映し出されている。

帰ったところで何もできないのだが、「早く帰らなければ」とそわそわしてしまうのだ。

先週の日曜は、最愛のお父様を亡くした友達の実家に、お悔やみを伝えに行った。昨日は、富士見町にある葬儀場で、最愛の奥様を亡くした友達のお別れのあいさつに、涙が止まらなかった。あまりの悲しさに、出棺までいることができず、途中で帰った。

そして、無性に貯水タンクまで歩きたくなった。

まず、龍口明神社で心を鎮めてから、その足で諏訪ヶ谷まで歩き、そこから一気に貯水タンクまで上る道順を取った。いくつかの同級生の実家の前を通り過ぎながら。その中の一つに、最愛の奥様を亡くした友達の実家もある。

間近に見る貯水タンクは巨大だ。見上げれば、真っ青な空。鳩の群れが、タンクの上をなぞるように、輪を描いて滑空していた。ロート製薬のTVCMを思い出す。その様子を、一羽のカラスがじっと見ながら、「カーカー」と鳴く。鎌倉市と藤沢市が道路を隔てて向き合う。

頑丈に施錠された敷地内の入口には、「腰越配水池」と書かれてあった。これが正式な名称のようだ。正確に言えばここは「腰越」の地名ではないはずだが、ふと南に目を向けると、遠くに腰越の海がキラキラと光っていた。なるほど、腰越の海を望む配水池というわけか。

家路に向かう坂道で、悲しみが少しずつ癒されていくのを感じた。

今日の夕焼けはきれいだった。

貯水タンクの向こうに陽が沈む。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?