1977年のエッシャー展
表皮 1955
(エッシャー展の入場券)
エッシャーの版画を最初に見たのは西武百貨店大津店6階にある西武ホールでした。
40年以上も前のことです。
エッシャーの版画の中でも、正則分割で構成された作品に魅了されました。
特に、4人の女性と4人の男性で画面が充填されている、「八つの頭部」(黒と白の木版)という作品に驚いて、くぎ付けになりました。ひとりの頭部の輪郭が別の人の輪郭になっている。しかも、さかさまだったりする。
それぞれの人物は、すべて、〈図〉であり〈地〉でもある。絵に、天地がなく上下を反転することもできる。不思議感覚に圧倒された、初めての視覚体験になりました。
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エッシャーの平面分割は、繰り返しの面白さが重要なテーマでもあるので、何度でも印刷可能な、版画という表現形式はぴったりのようです。エッシャーの版画は、木版、リトグラフ、木口木版、メゾチント、リノリウムカットなどで、制作されています。
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エッシャー展がいつ開催されたのか、チラシ(この頃は、チラシではなく、フライヤーというそうです。いや、それとも、昔もフライヤーだったのでしょうか。)や入場券の中を探すのですが、年号がどこにも書かれてなくて、不思議な気がします。70年代の中頃だとは思っていたのですが、図録を調べると1977年、76年がアメリカ建国200年のバイセンテニアルの年、そして、ロッキード事件が起こった年なので、次の年です。
〈エッシャー展1977〉 のカタログ
8月26日~9月14日の開催となると、やはり、夏の終わりだったんだなあ~と、展覧会場を後にして階段を降りてくるときの感覚が戻ってくるような気がします。展覧会とか、映画などを鑑賞した後は、大抵、心が思いっきり、揺さぶりをかけられているので、鑑賞後の記憶が残るんだと思います。6階からエレベーターではなく、とにかく、階段を降りている。
陽が差している階段をゆっくりと降りてくる。
6階のホールから降りてくる。
午後3時か4時頃の陽の光に満たされた階段を
6階のホールから降りてくる。
大抵は、挨拶もなしに行ってしまう夏のスキマに、突然現れたエッシャーに、すっかり心を奪われ、陽の射す階段を降りてくる様子を想像しています。
記憶の中の西武ホールは、かなり大きな部屋が3つ、4つあったと思います。。展示された作品数はカタログによれば、60点。最初の部屋にあった、初期の作品群の「花火」を見たときの記憶が、どういうわけか残っています。今、『エッシャーが僕らの夢だった』(野地秩嘉著)を再読していると、あとがきに、
私はエッシャーの作品の中では素朴な図柄のものだが、「花火」という版画がもっとも好きだ。
とあって、なんか嬉しい感じがします。
ところで、「八つの頭部」の作品は、エッシャーが学生時代に作ったもので、最も初期の平面の正則分割の作品だそうです。この作品から、エッシャーの平面分割の作品は始まったんだなあと思います。そして、さらに、ぐるぐると循環し、変容するテーマが現れてきたんだと、画集を見ながら感嘆しています。
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1977年を振り返ってみると、いまだに、時間の通路をさかのぼって、西武ホールの展示会場に辿り着けそうな感じがしていて、エッシャーを見たときの驚きと憧れは静かに続いています。
エッシャーのような、平面分割の作品を作りたいと思っていた最初の頃は、型紙を切り抜いて作図していました。
今は、パソコンを使って、原稿を作り、太陽の光を借りて、シルクスクリーンで制作しています。うずを巻き、迷宮を感じさせるような作品が出来たらいいなと思っているものの、簡単なパターンを見つけることに留まっているところから、何時か抜け出したいと思うこの頃です。
ハイヒールとリボン 2021
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参考にした画集と書籍
* エッシャー展 1997 カタログ 東京新聞発行
* スーパーエッシャー展 ある特異な版画家の軌跡1997
日本テレビ放送網発行
* エッシャーの宇宙 ブルーノ・エルンスト著 板根厳夫訳
朝日新聞社
* 無限を求めて エッシャー、自作を語る
Ⅿ・Ⅽ・エッシャー著 板根厳夫訳 朝日新聞社
* エッシャーが僕らの夢だった 野地秩嘉著 新潮社
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