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若い力

次女は大学でファッションを学んでいる。
大学の学生によるファッションショーが開催された。


当日のショーの会場には、若いエネルギーが満ち溢れていた。

私にとって、忘れた感覚、封印してきた感覚を思い出すことになった。


印象に残った作品の中から。

夜の動物園を表現した創作。
昼間は檻に入れられた動物たちが、人間のいない夜に檻を飛び出し自由に動き出す。
檻に入れられた動物たちは、見えない檻に入れられ、そこから自由になりたい人間の心理をなぞらえてているようにも見えた。

ワンピースを着たい男の子。
白いドレスの上から、包帯のような紐でグルグルと縛られている。縛っている紐は、社会通念や常識と呼ばれるものだろうか。

手工芸を取り入れた作品。
編んだり、スモッキングの技術を取り入れたり、仕上がった作品を見るのは一瞬でも、完成までの道のりには膨大な作業と時間の集積がある。


このショーの中で表現されていたものは、「自分の中にある感覚」。

誰かに強制されたり、型にはめ込まれたり、矯正された感覚ではない。


自分が社会人になってからのことを回想する。
会社での新人教育や社会通念という、外側から形作られる制約に自分を合わせることが成長であると、疑わない自分がいた。
ファッションデザインに関わる仕事の中で「最低限のコストで、最大限の効果を出す。」と教えられた。
ここでいう「コスト」と「効果」とは、まぎれもなく経済的な意味でのものある。

そこに縛られ、自分の内側にある感覚を封印することになった。
もしかしたら、それが「(商業)デザイン」ということで、私が封印したものは「アート」だったのかもしれない。


昨今、ものの有り余る社会の資本主義の行き詰まりや、ファッション業界でもアパレル企業の倒産や立ち行かない経営の話を耳にする。

けれど、それは悲観することではない。
何かが終われば何かが始まる。

立ちゆかなくなったものには、新たな方法を淡々と生み出していくだけのことだ。

それを担うのが、自由な、社会通念の外側をいく、アーティスティックな若い力なのだと思う。


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