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ボロボロな靴を履く、ボロボロなわたし

こんにちは、こんばんは。

靴がボロボロになってきたので、新しい靴を買いたくてうずうずしています。

今履いている靴の値段はたしか1万円しないくらいでした。必要に迫られて購入して、好みでもなかったのでしばらく履いていなかった靴です。最近履くものがなかったので、よく履くようになりました。

ほとんど手入れとかしていなかったので、ボロボロになるまではあっという間でした。古かったので、あっというまに合皮がめくれました。普通のスニーカーだったら洗って蘇るのに、なんて思いながら。


身の回りの持ち物、お気に入りのもので埋め尽くすのが夢です。財布はお気に入りで、6年前からの付き合い。カバンも去年の夏、フランスで悩みに悩んで買いました。当分これを使う予定です。

次は、靴だな。と思うわけです。
それなりの値段で、それなりのクオリティで、それなりに長く履き続けられる靴が欲しいなと。

理想の自分を形作ってくれるような靴。どこでもいっしょに歩いてくれそうな靴。わたしのお気に入りの仲間入りしてくれそうな靴。

お仕事の調べ物をしているときに、ちょうどこれだと思う靴を見つけました。値段を調べると、3万円ちょっと。3万がぽんとだせないほどお財布がさみしいので、保留です。まだボロボロの靴を履き続けます。


ボロボロの靴を履き続けるのは恥ずかしいです。
でも、靴をボロボロにしているのは自分自身です。

そして新しい、お気に入りの靴を手に入れたところで、ボロボロにするのでしょう。


これまたお仕事で、ある中古のモノを買うとき注意することを調べていました。

たとえきれいにクリーニングされていても、傷のつき方を見れば、売りに出したオーナーがどんな使い方をしていたのかわかるんだそうです。手荒に扱われたものには、クリーニングでは消せない傷がついているのだと。

モノにあたりがちだった思春期を過ごした、わたしの実家。わたしの自室。扉もボロボロで、壁のよくわからないところに穴が開いていました。傷のつき方を見れば、その人の使い方がわかる。そう言われてみると途端に恥ずかしくなってきました。

楽器もまた同じです。なんとなく吹きにくいなと思ってリペアに出した楽器、リペアマンさんにはどんな扱い方をしていたのかバレています。さりげなく言い当てられます。どきっとします。

自分の体もそうです。アトピーとか自分ではどうにもできないものもあります。手荒れとかもどうにもならないですよね。でも、ささくれをめくるみたいに自分でやってしまうものは、常に自分でやってること。ストレスが溜まっていることを、自分の体で表現している。どきっとします。


目に見えるところに、目に見えない部分が反映されていく。こう考えていくと、わたしの身の回りのものはさほど大事に扱われていなくて、それがわたしの内面を表しているんじゃないかと思ってきます。

わたしの尊敬する先輩は、ひとつモノを買うにも何か月も考えて、買ったものは値段関係なく長く大事に付き合っています。人間関係も大事に扱っていて、周りから信頼されています。先輩と一緒にいるときはいつも思うのですが、ボロボロの靴を履くボロボロなわたしとは大違いです。


靴、新しいものを買ってどうにかしようとするより、とりあえず今の靴を磨こうと思いました。新しいものを買っても、今のわたしのようにボロボロにしていくことが目に見えています。

過度に傷をつけまいと頑張ることは無駄というか、傷から愛着が沸くのも確かなことなのですよね。でも、傷をつけたい放題で平気、というのはまた違う気がして。

大事にします。まずは日ごろお世話になっている財布とカバンと、それから靴の手入れをします。楽器もそうです。これを打っているパソコンもそうかも。とにかく身の回りのモノ全てを、もっと大事にしようと思いました。大事にします。

手入れに慣れたころに、お目当ての靴を買おうと思っています。新しい靴にふさわしい自分になっているだろうか。なっていたらいいな。おやすみなさい。