観客と演者は、ゆるやかなコミュニケーションでつながる
初めてお金を出して演劇を観に行った。演目は小林賢太郎さんの『うるう』。初演から8年、初めて観に行った。
筆者は普段クラシック音楽の演奏会によく行く。お客さんと作品を繋げること、お客さんと演者を繋げること、おもしろいと思った点があるので書き残しておきたい。
肉の厚いチラシ
チケットをもぎってもらい、「アンケートのご協力お願いします」と言われながら受け取るのは、ビニール袋にまとめられたチラシ。一番上に見えているのはアンケート用紙。その下は、この『うるう』のチラシ。
小林賢太郎さんのチラシは、事前には渡されない。観客はここで初めて今回の『うるう』のチラシを手にする。
一般的に演劇のチラシは、観客がその会場に足を運んだ時点でその機能を終えます。でも僕のやり方は逆。公演当日からチラシが力を発揮してくれます。チラシをおみやげとして持って帰っていただく、つまり、作品の一部を持って帰ってもらうことに意味があるのです。観客は終演後、家族や友人や同僚にそのチラシを見せたり、話題にしたりします。事前に配られた誰でも手に入れられるチラシよりも、当日その会場に来た人しか手に入らないチラシのほうが「話のタネ」として扱ってもらいやすいのです。
小林賢太郎「僕がコントや演劇のために考えていること」No.807
座席に座り、ゆっくり袋の中を確かめる。チラシを手に取って見てみると、驚く。紙が分厚い。そして裏側をめくってまた驚く。うつくしい。
おそらく、おそらく、散らさないから、厚みのある紙を使い、凝った印刷を使い、美しいチラシを作れるのだと思う。
クラシック音楽のコンサートでは、プログラムの冊子がおみやげのチラシと同じ意味を持っている。しかし宣伝用のチラシもまた、薄い紙で大量に刷られている。大量に刷られて、大量に渡されて、可能であれば捨てて家に帰る。
『うるう』のチラシは、始まる前も終わった後も何度も見てしまう。ずっと大切にしようと決めた。この公演を、作品を、何度も思い出すきっかけになるだろう。
なめらかな導入、能動的な耳
開演前の座席で耳を澄ませると、SEで鳥の鳴き声、水の流れる音が流されている。
開演が近づくと、注意とお願いのアナウンスがある。携帯電話など音の出る機器は電源を切っておくこと、避難誘導灯を消すことについての案内など。そしてアナウンスを終わる前にもう一度、携帯電話の電源を切るお願い。ここまでは普通だ。
アナウンスが終わっても、始まる気配がない。
いつになったら始まるんだ? と思いながら待つ。咳払いをするお客さんがいるが、咳の音だけが虚空に消えていく。話をしようと声を出す人もいるが、お連れ様が返答をせずに黙り込む。会場全体が何かを察したかのように徐々に静まり返り、耳には鳥の鳴き声と水の流れる音に耳を澄ませている状態になる。
こうなったところで、貫くようにチェロの音が鳴る。ほとんど同時に、客席の明かりが消される。よく澄ませた耳に流し込まれる明快な音。観客は一気に作品の世界の中に引き込まれていく。
コンサートによく行く人からしてみれば、これは常識を覆すやり方だ。
クラシック音楽のコンサートでは、アナウンスからほどなくして客席の電気を徐々に落とされる。これからパフォーマンスが始まることを、照明の変化によって知らせている。観客は会話を止めるが、いわば一方的におしゃべりを止めさせられたような状態でもある。
コンサートが照明で開始を知らせることに対し『うるう』では照明に頼らず、始まるかどうかわからない状態を作る。観客は何かを察知しようとして、感覚を集中させている状態になる。集中した状態でパフォーマンスが始まる。
一方的な開始ではなく、双方の準備が整った状態での開演に。受動的な鑑賞ではなく、能動的な鑑賞に。大きな効果がある方法だと思う。
(アナウンスについては、今回の『うるう』ではない、同じく小林賢太郎さんが作演出を務めるコントグループ「カジャラ」のアイデアが面白い。知らない方には是非お伝えしたい)
アンケート用紙
終演する。カーテンコールのあいさつで、小林さんの口からもアンケートの記入を促される。アンケート用紙は、入り口で受け取るときにも記入を頼まれている。二度頼まれたら書くしかない。
いざ書こうと思ってアンケート用紙を見ると、
今回の公演はいかがでしたか?
1.よくなかった 2.あまりよくなかった 3.ふつう 4.よかった 5.とてもよかった
が、ない。
ほかにも、ふつうあるはずのものが、いろいろ、ない。
名前の欄はニックネームでも結構ですと書かれている。住所の欄には都道府県・市町村までで結構です、と。年齢欄、職業欄はある。あと残るものは、感想や質問を書くための自由記述欄。自由記述欄が用紙の半分以上を占めている。
アンケートの記入を重ね重ねお願いする。個人情報を減らし書くことへのハードルを下げる。自由記述欄を多くとる。何のためのアンケートなのか、目的がはっきりとしていることがわかる。顧客データをとるためではなく、コミュニケーションのためだ。
お客様の元気な笑い声や、アンケートに寄せられる力強いメッセージからは、舞台ならではのコミュニケーションの楽しさを感じます。何の媒体も通さず、直接「体験」として楽しんでいただく。僕は、この舞台という特別な仕事を、誇りに思っています。
小林賢太郎「僕がコントや演劇のために考えていること」 No.170
感じのいいスタッフさん
ところでスタッフさんの感じがいい。思えばチケットもぎりのスタッフさんも、チラシを渡してくれたスタッフさんも笑顔だった。
筆者はアンケートを書き終わったところですでに撤営が始まっていたのだが、スタッフさんが迷惑な顔をせずアンケートを受け取ってくれた。笑顔で。(放心状態で言葉が何も出ず、お礼を言えなかったのが心残りです。ありがとうございます)
ライブハウスのような、必要最低限のコミュニケーションだけで成り立っている接客も、戦場に踏み込んだような気分になって気分が上がる。しかし初めて見ず知らずの劇場に足を運ぶ人だとしたら、安心する接客はどんなものだろうか。物腰柔らかな、笑顔での接客だろう。
小林賢太郎さんはお客さん目線を大切にしている。それが会場のスタッフさん全員に共有されているのかもしれない。
(前略)一流のエンターテイメントを作りたいから、いろいろな一流のものに触れたいのです。舞台鑑賞に限りません。美術館、スポーツ観戦、お買い物。日常的な外食だって勉強になります。
レストランの店員さんが、メニューの説明が上手で、とてもスムーズに注文できた。買った洋服を家で開封したら、すぐに着られるようにタグがすべて外してあった。(中略)人が作るものにお金を払って、お客さんとして満足を味わうことは、お客さんが何を喜ぶのかを身を持って学ぶことになるのです。
小林賢太郎「僕がコントや演劇のために考えていること」No.228~
おわりに
舞台は作品だけではなく、細かい部分から作られていることを体感した。ついでに言うと小林さんの作品作りをより一層好きになった。音楽のコンサートは、もっともっと、突き詰められるところがあるかもしれない。そんなことを考えながら。おやすみなさい。