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ロッテと井口資仁監督

※今から書くことは筆者の邪推と憶測と考察を語っているだけに過ぎません。

はい。
今日は贔屓に応援している千葉ロッテマリーンズについて語りたいと思います。

もしかしたらこれからロッテを応援する、とかロッテファン歴浅いけどどんな球団なんだろうと思っている人もいるかもしれないので、ボビー政権あたりから歴史を遡って観ていこうと思います。

ただし、今回フォーカスしたいのは現監督の井口資仁監督についてです。

きっかけ

ちょうど2年前に暗黒2017年の終幕と共に感動の引退試合をファンに魅せて引退した井口選手でしたが、その後伊東前監督の後任として監督に就任しました。
(ちなみにその感動の引退試合の最中に筆者はグアムの貧弱電波でなんとか観ていたものの、あのHRの直後に回線が切れたという)

そこで自分が気になったのはその時の就任したコーチ陣について。

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…的場、川越、今岡。

あれ?2010年?

そう、9年前にこの3人は戦力外からロッテに拾われた元選手たちなのです。
また、川越コーチをのぞく2人はそれまで他球団のコーチ監督でした。
それがなぜ急にロッテに…?
ついでにホークス一筋の鳥越コーチまで…?

そこを考えて行ったら、いろいろとある意味コワイ想像と、ロッテのビジョンにたどり着きました。

今日はそんないちロッテファンの妄言を書き下します。

その前に

まず、井口監督がロッテに選手として入ったのは2008年のオフシーズンからです。ですが一旦はそこまでのロッテをかるっと振り返りたいと思います。

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みなさんの記憶にあるかもしれない33-4で有名になった2005年日本シリーズあたりから振り返ります。

この時の監督はボビー・バレンタインでした。のちに井口監督が入団したあとの2009年まで監督をやります。

ボビーは当時のプロ野球では考えられないオーダーや采配でロッテを約30年ぶりのリーグ優勝と日本一に導きます。
つなぎの4番ボビーマジックと言われるアレです。)
また、サブローや西岡や薮田に里崎と多くのロッテ戦士の思い出と恩師となった名将でもあり、迷将でもありました。

諸説ありますが、バレンタインの一任で高給なコーチや外国人選手を獲得したり、バレンタインそのものにも高額な年俸があったり、と優勝と引き換えにジワジワとロッテの赤字が広がります。
(バレンタインへの年俸は5億とも言われてました。普通、監督なら0.5億〜1億台が相場だと思われます。)

そして、2009年、バレンタイン退任に絡む複数の騒動の末、監督をやめました。超簡単にいうと、監督とフロント間、さらにはファンとの不和があったということで、解任になったということです。
ちなみにその際の球団代表が瀬戸山隆三氏でした。
(非常にわかりやすい記事があったのでリンクしました。)

そんな経緯もあってか、2010年からのチームスローガンは「和」ということになり、当時ランナーコーチャーだったロッテ生え抜きの西村徳文監督が就任します。
結果的にいろいろと絡むものが絡み日本プロ野球史上初の3位からの日本一になります。
(近年で1番熱いカードとも言われたり、日本シリーズの価値が下がったとか言われ続ける)

この年からロッテは前年までと打って代わりお金がかけられなくなります。
理由は当然前年までで負債した赤字が背景にあります。
現にこの年はエース清水直行を横浜に放出したり、新人王の実績もある久保康友を阪神に放出したり、バレンタイン時代の高給外国人を一掃したりしてました。
(今思うとこの2人を出してなければ2010年はリーグ優勝できた。→結果は首位と2.5ゲーム差の3位)

そこでそこまで補強に金をかけられない中で獲得したのが他球団で戦力外となった川越、今岡、的場、あと秋親になります。
(そこから上述の選手がAクラス争いに貢献したことからも補強という名の戦力外選手漁りが続きロッテ再生工場などと言われたこともある)
ちなみにソースはこちらこちら

当時はこのメンバーを見た時にそこまで考えたことはありませんでした。中坊だった自分は川越はオリックスのエースで、今岡は阪神の凄い打者他はそこまで知らないって具合。
ですが、昨年井口体制になってから気づくことはありました。

川越…青山学院大学で井口監督の1つ先輩
今岡…アトランタ五輪で井口監督と戦った大学時代からの盟友(今岡は東洋大)
的場、秋親…井口監督の選手時代の前所属・ダイエーホークスでチームメート

…なんで2010年段階で井口監督と面識がある選手ばかり集まっているんだ?

次に井口監督のここまでの経緯を振り返ってみたいと思います。

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井口監督

井口監督は青山学院大学出身で1996年のドラフト会議でダイエーを逆指名してドラフト1位で入団します。ダイエーに行った経緯の一つとしては、同大学の3つ上の先輩・小久保裕紀が同じ逆指名でダイエーに入り、活躍していたというものもあるとのことです。大学一年時に大学四年のレジェンド級の選手と同じ球団に行けるなら理由として充分ですね。

で、その後平成最初で最後のON決戦や、ダイエーの常勝球団への躍進の一員、ダイハード打線の一角を担いました。
ダイエーは最終的に2004年に球団売却をしてソフトバンクホークスに変わります。また、この時に同時にブルーウェーブとバファローズの合併、楽天参入など色々球界の歴史に残る事件が色々起きました。
(この辺は別途調べれば出てきます。)

ですが、その事件はダイエーにも起きていました。2003年に先述の小久保が巨人に無償トレードで飛ばされます。普通は金銭や選手同士のトレードが通例なので異常です。
背景にはダイエーが球団を売却しなければいけないくらいの赤字があり、小久保に払えなかった、や、球団幹部との確執があったなど諸説あります。
なので、そんな大学の先輩が無下に放出されたとなれば、井口監督にも球団への不信感が芽生えたのではないでしょうか。
ちょうど小久保が巨人に放出された翌年のオフにメジャーに移籍しますが、今でいうポスティング海外FA権の行使ではなく、自由契約の上でのメジャー挑戦という形です。
これはポスティングと異なり、球団に何も金銭などの見返りは残らない実質海外FAのようなものです。
そのソースとなりそうな記事やブログもありました。(その1その2その3
要約すると当時のオーナー代行の高塚猛氏との覚書が正規のものと認められ、自由契約の元でメジャー挑戦となりました。
その覚書というのがざっくりいうと「球団幹部が退く、または、球団そのものの存続が危ぶまれた時に自由契約にできる」といったものでした。
憶測の範囲ですが、メジャー挑戦がしたかった、かつダイエーという泥舟からの脱出がしたかった井口監督と、井口監督を盾にした覚書を作ってダイエー球団の幹部で居続けようとした高塚との関係があったのではないかと思いました。
(上記のソースの中では最終的に高塚の猥褻行為で球団幹部として失脚して覚書が施行されましたが、井口監督の中ではダイエーの寿命が2004年までというのは察しがついていたのではないでしょうか?)

そうしてメジャー挑戦してホワイトソックスとフィリーズで日本人選手2度目のワールドチャンピオンになります。
(勝手ですが並な外国人選手なら井口監督がチャンピオンリングを見せるだけで井口監督のすごさを察してくれるのではないのかとか思ってしまう。)

そんなメジャー周りの話などが井口監督の本にもあるので興味あればぜひ買うのをおすすめします。特に王監督とギーエン監督のくだりやMLBでトレードされて泣いたエピソードなど。
この本の中で色々察しましたが、井口監督のキャリアとして将来はMLBの監督になりたいのではないか、ということ。
そういうビジョンがあったとあくまで仮定して、そのキャリアを歩むためには必要なことが多々あると思います。憶測の範囲でざっくりですが、

選手としての大成
日本で監督としての成功

この2点があげられるのではないでしょうか。

話は戻りますがメジャーで4年ほどプレーして日本球界復帰を決めます。上述の本ではメジャーから二塁手としてのオファーがなかったので復帰を決めたらしいです。(三塁手を打診されたとか)
で、日本球界復帰の際には当時有望な二塁手がそこまでいなかった巨人、元古巣のソフトバンク、最終的には決まるロッテの3球団の争奪戦となりました。
ちょっと野球を知っている人ならわかりますが、巨人とソフトバンクはお金がメチャクチャあります。特に前までのダイエーと打って変わってホークスは金満になりました。
ここで自分が気になるのは、ロッテがいかにしてこの金持ち球団との争奪戦に勝ったのかということです。
(また、獲得に動く背景にひとつ気になったのは当時のロッテに二塁のレギュラーとして根元俊一が台頭しかけたタイミングで同じ二塁手としてポジションがかぶる井口監督の獲得に動いたのはなぜなのかというのも思いました。)

※一応2度目の「今から書くことは筆者の邪推と憶測と考察を語っているだけに過ぎません。」

ロッテ井口誕生へ

まず、金銭面での戦いとなればロッテは巨人とソフトバンクの両球団に負けます。現につい最近あったFAの丸佳浩争奪戦であっさりロッテは巨人に負けています。さらにロッテとの契約が切れたデスパイネの引き止めにはソフトバンクの財力に敵わず流出しました。このような裏付けから金銭面では勝てません
となるとどこで勝ったか、そこを考えました。

争奪戦に勝てた理由ですが、はっきり言って条件です。
1つ重要なファクターとしてあるのは先述のロッテの球団代表・瀬戸山隆三氏は2003年までダイエーで球団代表を務めていたということです。
ロッテが縁もない井口の獲得に動いた理由はダイエー関係者が上層部にいたことが挙げられます。
で、金銭面で両球団には敵わないとなるロッテは監督手形を提示しました。
これは要は引退後に監督をやらせてあげるよ、という権利になります。ソースもあります。ここで上述の井口監督の考える将来のビジョンとマッチしたことがロッテを選んだ要因だと思います。

また、もう一つ考えたのは千葉ロッテマリーンズの上層部はなぜ井口監督への監督手形を承諾したのか?ということです。ここでいうのは球団代表ではなくオーナーなどの親会社的に、というところを指します。先述の通り、球団代表とのコネクションはダイエー時代にあったものですが、いくら球団代表が親会社のオーナーにプッシュしても、もともとロッテOBでもなんでもない人に監督をさせるにはなにがあったのでしょうか…?
(ちなみに球団代表とオーナーなどの違いについてはこちら

あくまで推測ですが、

当時のオーナー代行の重光昭夫氏が青山学院大学出身だから…ではないでしょうか?

ロッテという企業は重光武雄氏がロッテを創業されました。のちにロッテの前身・東京オリオンズのオーナーを務め、最終的に息子の重光昭夫氏が代わって1991年から球団社長からオーナー代行を任され、実質千葉ロッテマリーンズのトップにいました。そのトップと同じ出身大学とあればコネクションはできていたのではないでしょうか?
(ちなみに今のオーナー代行は乳酸菌ショコラを作った河合克美氏が2018年から代わっています。)

と、言うことで、ロッテが井口監督を獲得する算段やコネクションは十分確率されたため、監督手形を出し、獲得にこぎつけたのではないでしょうか。
まず、巨人には生涯巨人選手以外に監督手形は出せないということで巨人はは×。次に、本多雄一というすでにレギュラー選手が確立されていて、退団の経緯も少し後に引けていたという点でソフトバンクは×、ということですかね。

ちなみに2009年に100試合以上出ていた根元に代わって井口が取られた背景は上述の監督手形の方が優先された、ということですかね…。
(2009年と2012年の根元の成績が好き。)

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ロッテのビジョン

上述の(憶測に過ぎない)入団経緯が本当だとしたら、今岡や的場や川越の獲得にどこまで井口監督の権限が当時選手ながらあったのか…、など勘ぐってしまいますね。
でも、自分がのちに監督になると決まっていたから、一緒にやっていくコーチングスタッフはなにかしらロッテOBと箔がついていた方が招聘しやすいとかもあるのかもしれませんね。
(ホークス一筋の鳥越ヘッドコーチをソフトバンクから引き抜いたのは井口監督にしかできないと思いました。ちなみにここで直談判した内容が見れます。)

さて、最後に考えたいのは千葉ロッテマリーンズの今後についてを考えたいと思います。ロッテの2000年代の球団史としては大きく分けてつです。

2004~2009 優勝もし、煌びやかだったが赤字が進んだボビー監督時代

2010~2012 稀有な形で日本一になったがひたすら緊縮財政の西村監督時代

2013~2017 赤字を立て直すため外部監督を招聘した伊東監督時代

2018~         満を持してロッテを変えていく井口監督時代

ざっくりですがこんな感じでしょうか。
西村監督と伊東監督の時はひたすら金を抑えることに徹していたと思います。
最たる例が西村監督時代にサブローを巨人にトレードするといった、小久保の無償トレード並みの事件も起き、2011と2012年は観客がみるみる減っていった過去もあります。
伊東監督時代にもひたすら金を出さず、補強がだいたいピークが過ぎた外国人や当時は安かったキューバパイプを開拓して低コストで進んでいました。
(のちにキューバパイプは丸ごとソフトバンクに高額で持って行かれ、何も残らなかったという。)
ただ、伊東監督時代からサブロートレード事件を受けて、ファンを大事にする政策は増えたな〜という印象です。

で、散々冒頭から言われていた赤字ですが、実は2018年のオフに解消されたらしいです。
(実は伊東監督時代の晩年あたりからだいたい黒字になる算段はついていたのかな〜と、またまた勘ぐっていたりもする。)
確かに今年のロッテはオフの段階から金払いがすげーなと思っていました。
(丸に数十億、レアード獲得及び残留、美馬や福田のFAに参戦など)
少なくとも前の3時代の時と球団の姿勢は変わったと思います。
井口監督で優勝する、常勝球団にするという気概は伝わってきます。
井口監督が将来メジャーで監督をするならば、当然日本で優勝監督にはなっておかなければいけないとも思います。

で、タイトルのロッテのビジョンなのですが、井口監督で常勝球団に仕上げ、井口監督の後は千葉ないしはロッテの人を中心に球団を築いていくのかなと思いました。
そこで井口監督がここからあと数年かけてロッテを常勝球団にした後は今年引退した福浦和也2軍ヘッドコーチに監督をさせるのかなと推測します。
福浦HCはまさに習志野高校出身で千葉の人間かつ生涯ロッテの2000本安打達成のレジェンド。球団が引退後も2軍でヘッドコーチという役職につけているのも、コーチングを学びのちに監督業に生かしてほしいという気持ちの表れではないでしょうか?
また、福浦HCを将来監督にした際にはサブローや里崎といったあの頃の有名選手を引き戻したりするのではないでしょうか?

関係ないですが、ロッテのコーチも育成するといった姿勢が個人的に好きです。最近引退した伊志嶺や根元、大隣などもいきなりコーチに置かれますが、その中で鳥越ヘッドコーチや吉井コーチや昔いた小谷コーチなどの有名コーチからコーチングのノウハウを学んで、コーチとしても育成するという姿勢のことですね。
(最近もアメリカのすごいところにコーチを選手と一緒に派遣して学ばせてたりしてます。リンク


終わりに

ある時に井口監督周りが気になって考察や憶測でいろいろ書き綴っていたら、自分にしては初めての3回に分けて書いた長文記事となりました。
自分のロッテ愛が良い意味で気持ち悪いなと思いつつも、改めてもっとロッテが好きになりました。

自分がロッテファンを名乗り始めたのが2005年あたりですが、毎日ロッテの動向を気にするレベルまでになったのがちょうど2007,8年で、その後くらいに井口資仁選手が入ってきました。
当時はどんな選手かとかダイエーとかそこまで知らなかったのですが、二塁手であそこまで長打が打てて100打点もマークしたのはすごい憧れでした。
現に当時中学野球をやっていた自分も井口のフォームを真似て、初めて3割打って賞を取ったり、井口モデルのバットを今でも愛用してたりと、全てが憧れでした。

そんな憧れの人が感動の引退試合をして、ロッテの監督をしている、ということで今後もずっと応援し続けたいと思います。

なんだかんだ何があってもロッテが大好きです。

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P.S.
今年のロッテの総括とか、鈴木大地のFAとかも記事にしようかなーとか思ってます。
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