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ライダーが希求する自由のために。- No.237より

極東に浮かぶ双子島を舞台に始まったラリー
競技ではない冒険の旅
その存在理由とは何だろう

第4回ノースアイランドラリー
2021年8月12-15日 北海道

Photos : Masanori Inagaki
Text : Hisashi Haruki



北海道-サハリン

ノースアイランドラリーは、2014年と2015年に、北海道とサハリンをつないで行った同名のラリーがその基礎になっている。もともと競技ではなく、スピードやタイムを競う要素はなかったが、未知の土地を、自らのモーターサイクル操縦技術と、ナビゲーションの能力を駆使して走ることは、それ自体が冒険的なものを含んでいた。サハリンでは、かつてモーターサイクルによる、ラリーという名の付くイベントは開催されたことがなかった。それがノースアイランドラリーという形で行われたことは、当地の愛好家を刺激した。もちろんラリーは、サハリンの愛好家にも大いに協力してもらって運営されたものだった。
 北海道とサハリンをつないだラリーを実施しようという直接の動機になっていたのは、当時運行されていた定期便フェリーの存在だった。クルマ、バイクを数十台積載できるフェリーは、日本で、利尻-礼文航路、奥尻航路も運営しているハートランドフェリーによるもので、毎年6月から9月と短い期間だったが、週に2便以上のスケジュールで、ほぼ欠航なく運行していた。もうひとつ重要だったのは、バイクもクルマも、ラルネ無しの簡単な手続きで輸出入できることだった。そのおかげで、ラリーは短い日程を有効に使って走ることができたのだった。


冒険とは

それが、2回目の2015年の開催を前に「フェリーの運航は今年で最後になりそうだ」という情報が入った。ぼくたちは、急遽、2015年のラリーでサハリンの最北端まで行くことに決めた。本当は、最北端までの旅は、数年後と考えていたのだが、悠長なことを言っていられなくなったのだ。
 サハリンは、北海道とほぼ同じ面積を持つ島だが、南北に長く、その距離は約1000kmとなる。それを一気に走り抜け、往復する。
 北部は、幹線道路もほぼすべてダートで、北に行くほど砂利の舗装もなくなってきて、乾いていれば砂、濡れると泥濘路となる。
 北に向かう道は、延々と続くマディになり、苦労した。この時のノースアイランドラリーの参加者は、瞑目していつでもあの長く続く泥道を思い出すことができるだろう。
 ラリーはまさに冒険的で、ゴールしたユジノサハリンスクは、まるで懐かしい故郷のようだった。
 ノースアイランドラリーは、一旦閉幕した。いつかフェリーが復活したらまたやろう。

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