見出し画像

モンゴル、モータースポーツ界の英雄- - ガントルガ選手 命日

写真 SSER

ラリーモンゴリア、マスターラリーをはじめ多くのモータースポーツイベントで活躍した、偉大なラリーチャンピオン、ガントルガ・ビャンバー氏が逝去されてから、この2020年1月24日で、丸3年が経ちました。

先日のアフリカレース、イタリアからタンジェに向かう船上で、エキップスガワラのスタッフとして参加していたバイラーさん(モンゴル)と、彼の思い出話をしました。バイラーさんは、ライダーとして、ガントルガ選手と一緒にラリーを走った経験もあります。

ガントルガ選手が亡くなった原因は、ラリーで傷めた腰椎の感染症の悪化でした。フランスの病院で加療中に容体が悪化して急逝します。モンゴルの人は、外国語の習得が早い人が多いようですが、ガントルガ選手も例外ではなく、短い入院期間中にフランス語を習得。看護師さんと不自由なく会話していたことに、バイラーさんは驚いたそうです。

ぼくも、3度、彼とラリーの一週間を共にさせていただきました。激しいライディングとは好対照に、穏やかでやさしい人柄でした。


彼が長く活躍の舞台としたラリーモンゴリアの主催者であるSSERオーガニゼーションが、当時、公式発表として訃報を伝えています。以下転載

2017年1月27日
SSERオーガニゼーション


ラリーモンゴリアを代表するライダー、モンゴルの国民的英雄であるガントルガ・ビャンバー氏が逝去されましたので慎んでご報告申し上げます。
2017年1月24日午後4時、長く患っていた腰部の手術のためフランスの病院に入院しておりましたが病院にて急逝。詳細な状況はまだ伝わっておりませんが、その日は朝から「気分が悪い」と言っていたそうです。
同氏はラリーモンゴリア第1回大会(ラリーレイドモンゴル1995)に初出場し総合2位で表彰台に立ち、以降連続出場し常に表彰台にいました。1998年念願の初優勝1999年に2連覇。3連覇に挑んだ2000年は三橋淳に敗れ2位、2007年まで11回連続出場し総合優勝5回、リタイアは1回。優勝回数はボルドバートルの6回に続いて2番目。
2010年にAUTOのナビとして出場が最後で、腰痛に悩まされながら復帰を常に考えていました。
1996年に行われたパリ-北京(MASTER RALLY)ではXR250でヨーロッパのトップライダーに割って入り最終日まで総合2位、最終は総合3位と世界を驚かせました。
ガントルガ氏の栄光とモンゴルでのモータースポーツの発展に寄与されたことをここにご報告申し上げるとともに深く哀悼の意を表します。

http://btmshop.cart.fc2.com/?ca=all&sort=5


ここから先は

0字
1998年に創刊。世界のエンデューロ、ラリーのマニアックな情報をお届けしています。

BIGTANKマガジンは、年6回、偶数月に発行されるエンデューロとラリーの専門誌(印刷されたもの)です。このnoteでは、新号から主要な記…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?