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TIME TO RIDE 「絶滅危惧種の、林道遊戯」- 大鶴義丹

 父がまだ若い頃、磯釣りにハマっていた時期がある。私は中学に上がる頃で、「漫画・釣りキチ三平」の影響で、日本中が釣り師になっていたような雰囲気だった。
 父が磯釣りで狙っていたのは、その当時から「幻の魚・磯の王者」などと呼ばれていた石鯛という魚だった。伊豆半島から九州へと釣行しては、かなり散財していたが、勝率は3割程度だったと思う。あの時代の計算で、おそらく一匹十万円以上という計算になる。釣ってきた石鯛は父が自宅で刺身にした。今でこそ高級スーパーで石鯛の刺身を売っていることはあるが、当時は幻の高級魚で、その味に子供ながら悶絶した。
 血気盛んだった頃の父を思い出し、YouTubeで石鯛釣りの動画を見た。すると最近では、石鯛は希少な魚だけに、リリース前提にゲームフィッシュとして楽しむ人がほとんどだという。食べるのはマナー違反なのだ。父が見たら何と言うだろう。隔世の感を禁じ得ない。
 その時代の変化に、私が連想したのは「林道遊戯」だ。1980年代の首都圏林道事情と、昨今の変化に似ている。
 あの時代、東京の林道少年がまず手にしたのは、今となっては伝説の「佐藤信哉・バイク林道ツーリングマップ」だ。「丹沢編」「奥多摩編」「富士山編」とシリーズ化されていた。その書の指示通りに、奥多摩から丹沢と走り回った。お小遣いがあるときは富士山にも足を延ばした。
 とにかく山に行けば自由だった。峠でのヒザ擦りは警察に怒られたが、山に行けば何でも許されているような錯覚を感じた。東京、神奈川、千葉、埼玉の林道がほとんど合法的に走れなくなったのは、そんな80年代の「乱獲」のせいだと後輩には言われるが、富士山の頂上までバイクでアタックしたことが、バイク雑誌の記事になるような時代である。また東京都・世田谷区の河川敷にも堂々とモトクロス場が作られていた。近くを通り過ぎて行く警察官も何も言わなかった。当時の法律では河川敷が警察の管轄ではないからだ。




 良い悪いではなく、他の万事を含めて、まだギリギリ全てが大らかな時代だった。また、それらを今の時代の価値観や倫理観で裁くことはできない。そんなことを言い出したら、私が生まれるたった10年前、昭和33年までは赤線地帯では売春が合法だったのだ。
 しかし、だからと言って、その感覚をこの令和に持ち込んで良いという訳ではない。私自身も「林道遊戯」に関しては、バイクメディアに関わっている故にとても気を使っている。

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