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「生きる力・ビバークより」 No.245より 

心のどこかで、会社勤めこそが人間の生きる方法だと思っていたのかもしれない。シングルファーザーとして二人の子供を育てるのに必死だった日々、そこに難病という予期できない現実が重なる。いつしか小さく収縮していた世界にあたたかい光を当ててくれたのは、ラリーに集まる仲間の笑顔だった。

インタビュー 古崎正樹さん
Text : Hisashi Haruki



身近なラリーの存在

 「もともとひとりで林道や山道を探索しながら走るのが好きなんです。実家は恵庭との境に近い千歳で、すぐ裏が山だったし、独立して今の場所に移ってからも、山がすぐそばでした。でも、ひとりだと行けるところは限られているし、何かあったら帰って来ることもできなくなるでしょう? この先はどうなっているのかな? と思いながら戻って来ることも多いんです。ラリーっていうものがあると知って、これはいいと思ったんです。コマ図でいろんなところに連れてってくれる。荷物は運んでくれるし、しかもバイクがトラブった時のために後ろからトラックも走ってくれてる。なにこれ、最高じゃん、って」。
 トカチ3デイズ、北海道3デイズ、SSERの湯布院3デイズ、それにノースアイランドラリー。手軽に参加できる日曜日のエンデューロなどに参加してはいたが、ラリーは知らなかった。
 ラリーに出会った古崎さんが積極的に外に出るようになった理由はもうひとつある。
 「間質性肺炎。膠原病に合併して起きる病気のひとつなんです。肺の組織が線維化して硬くなって、次第に機能が低下していきます。最初のうちはほとんど自覚症状が無くて、ただ運動すると息切れがする、とか、咳が出るという程度で…。でもここ数年は症状が進んでいるせいか、息切れがひどくて。スタックして押したり、倒れたバイク起こすだけで、目の前が真っ暗になるぐらい酸欠するようになっちゃって…。それであんまりバイクも乗れなくなってきたんですが、ちょうどその頃に、初めてラリーに出たんです。安くバイクを買って、それを直して乗る、っていうのが大好きで、たまたまBMWのR1100GSを手に入れて、これがラリーにちょうどよかったというのもありますが、何か、思いっきりやりたいことをしたいという気持ちもあったと思います」。

静かに突き付けられた現実

 膠原病(こうげんびょう)は免疫機能の異常によって起きる病気だ。免疫とは本来体内に侵入する細菌やウイルスを排除するための機能だが、その働きに異常が起こり、自分の身体を異物として攻撃するようになってしまう。細胞と細胞の間にある結合組織(膠原繊維=コラーゲン)に異常が現れるため、膠原病と総称されるが、この結合組織は全身に存在しているため、関節や臓器を含むあらゆる部位に症状が起きる可能性がある。
 古崎さんには、膠原病に起因する様々な症状があるが、間質性肺炎もそのひとつだ。肺の組織が次第に線維化、硬化し、機能を失った部分の割合が大きくなるに従って、呼吸(ガス交換)ができなくなってくる。機能の回復は困難で、現代の医療では進行をできるだけ遅らせる、すなわち線維化を抑制するための治療に期待するしかない。膠原病のうち、古崎さんが該当すると考えられる多発性筋炎の患者の死亡原因の第一位(約48%)が、この間質性肺炎である。
 「そんなに悲愴感みたいなものは感じないんですよ。病気のことを知らされても、ああそうなのか、って感じで。じゃあこれから何をしたらいいか、ということはもちろん考えますけど。肺のことについては、最初は自覚症状がほとんどなくて、その後も、数値だけは下がっていくけど、そんなに苦しくはなくて、徐々に、だったので」。
 膠原病という診断を受けるまでも、なぜかダルい、疲れやすいという状態が続いた。なんとか仕事はしているけれど、休日は起きているだけでもダルくて何もやる気になれない。風邪だろうか? やけに長く続いている。原因不明の倦怠感。周囲にも理解されにくく「やる気のない奴。さぼり癖のある人間」と思われる辛さが加わった。
 指先の潰瘍に悩み、皮膚科を受診する。
 「膠原病が原因ではないか」と診断を受け、専門医を紹介された。膠原病に起因する多発性筋炎。その後、生体検査なども含めて1ヶ月の検査入院。間質性肺炎を併発していることもわかった。
 「医者って、こういうことを意外にサラっと言うんだな、と思いました(笑)。ある時、肺の画像を一緒に見ながら"この線維化している部分が癌になっている可能性がありますね"。なんてことを言われたこともあって。ちょうどその時、精神的にすごく弱っていて、ぼくの態度も良くなかったのかもしれないですけど。なんか、若くて態度もぞんざいな医師が出てきてそういうんです。なんか感情的にぐちゃぐちゃになってしまって、なんにも耳に入らなかったこともありましたね」。悲愴感はないと言うが、治らない病への恐怖は心の奥底を凍らせていたのだろう。
 長男が生まれてまもなくの時期だった。今までの職場では家計がおぼつかず、整備士からカー用品店に転職していた。
 「病気のこともありましたが、まだそれほど肺の機能が落ちているという自覚は無かったですね。ただ、子供が出来てからの数年間は、自分的な空白というか、ただ必死で働いていた、そういう時期でした」。

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