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BIGTANKマガジンは、年6回、偶数月に発行されるエンデューロとラリーの専門誌(印刷されたもの)です。このnoteでは、新号から主要な記事を再編集して順次掲載。バックナンバーの… もっと読む
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2020年2月の記事一覧

リッチは単に息子たちを勝たせるためにアメリカを改革したのではない- カートと彼の父親

特別な才能を持った父子が、ほんの数年間だけ、世界のエンデューロシーンに登場し、そしてまるでムービースターのような輝きの中で消えて行ってしまった。その功績は、何度でも書きとめてられるべきだ。 カートと彼の父親 文 / 春木久史  2008年のISDEギリシャ大会。USAワールドトロフィチームは、かつてないメンバーを揃えてのエントリーとなった。KTMを駆るカート・キャッセリは、その中でもチームを牽引する活躍を期待される存在だ。デストリィ・アボット、リッキー・ディートリック、ネイ

モーションプロのT6コンボレバーの優秀さを知る時、トレイルライディングという文化が存在することを知るだろう

レンチとタイヤレバーの機能を兼ね備え、そして驚くほど軽量で携帯性に優れたツールである。その製品の優秀さは、使ってみればすぐに理解できる。同時に、この小さなツールが「エンデューロの思想」を、完全に表現しているということも。KTMというメーカーが純正パーツとして採用しなければならなかった理由も…。 文 / 春木久史

サウジアラビアに散ったポルトガルのダカールヒーロー - その偉大な足跡をを書きとめておこう

1月12日。サウジアラビアで開催されたダカール2020 - リヤド~ワディ・アド・ダワシル間の第7ステージで、ポルトガル人ライダーのパウロ・ゴンサルベスが事故死した。ホンダがダカールに復帰した2013年以来、チームのエースライダーとして長く活躍。今年はインド企業のチームに移籍していたが、読者の中には彼を応援していた人も多かったことと思う。謹んで哀悼の意を表すとともに、彼の足跡を記録したい。 Paulo Goncalves 1979~2020 パウロ・ゴンサルベス

勝利を確信したのはいつだったのか - ホンダ8年目の挑戦、その裏側。HRCラリーチーム代表ロングインタビュー

いつでも勝てる。は、いつまで負け続けるのか、という重圧に変わった。2013年の南米ダカール初挑戦から苦戦が続く。ダカールでは、どんなことでも起きる可能性がある。ホンダは、そのすべてを経験したのかもしれない。 No.227より 勝利までの時間 - ダカール・宗次アラビア Interview Taichi Honda インタビュー・本田太一 HRCチーム代表 Text : Hisashi Haruki Photo : Honda Racing 王者の城アフリカ時代。ホンダが

No.227から - 究極のスポーツとしてのラリーへ。ダカールは新しいフェイズに突入した

アフリカ、南米、そして中東アラビア半島。ダカールラリー第三章の舞台はイスラムを国教とする絶対君主制の王国へ。宿命の戦いに預言者は何を語ったのか。 特集 Dakar2020 砂の王国 - SAND KINGDOM第1回 ジェネラルリポート 次回、HRCラリーチーム代表本田太一テンタビュー、HINOチームスガワラ・菅原照仁による「ダカール第3章」、パウロ・ゴンサルベス追悼に続きます。 Dakar 2020 1月5~17日 サウジアラビア 戦いの舞台装置 そのポテンシャル 

今のインドア用バイクは、みなさんが思っているようなバランスがいいマシンではありません。そして2スト250より、4スト450の瞬発力が必要です

前回のインタビューでは物足りなかったという、ハードコアなエンデューロファンに、タディがさらにマニアックな質問に答えてくれた。 新シリーズWESS これからのあり方とは?  新シリーズ「ワールドエンデューロスーパーシリーズ(WESS)」の立ち上げが発表されるのと、タディ・ブラズジアクの引退撤回が発表されたのはほぼ同時期だった。実のところ、ENDURO GPですら上位に優勝する実力を持つオールラウンドなライダーであるタディにとって、WESSのコンセプトは長年待ち望んでいたものだ

狂気の7分間に何が起こっているか ― タディ・ブラズジアクが語る FIMスーパーエンデューロの現在

原因のほとんどはレースタイムの短さにある。ゲートが落ちた瞬間、全員が死に物狂いで1コーナーに殺到する。120%の戦い。だから観客は喜び、次の週末には自分でバイクを走らせたくなるんだ。 FIMトライアルジュニア世界選手権で活躍の後、2007年からエクストリームエンデューロの世界に身を投じ、以来、出場するすべてのカテゴリーで王座を勝ち取ってきた。一度は引退を表明したポーランドの英雄が、再び過酷なレースの現場に戻ることを決意したのは、なぜか? 英雄は再び戦場に向かう  トライア

彼方へ - Go Beyond - 連載 Vol.5

ティエリーは一九七九年からはじまるパリ・ダカールの創始者であり、まさにカリスマだった。一九八六年まだ八年目の大会のさなか、ヘリコプターの事故で急逝した。組織の正当な権利継承者は誰なのかという論議をするまでもなく、父ジルベールが登壇した。実質的な運営は、息子の右腕だったパトリック・ベルドアが、そしてその補佐役には広告塔として悲劇の女優スザンヌ・ファルネー、つまり故ティエリーの愛人が務めた。 著 / 山 田 徹 第一章 パリ・ダカールの時代 其の五 キンシャサの奇跡とアンゴラ

BTMアーカイブ - 2008年ダカールがスタート直前に中止された 当時の記事

2008年、スタートを待つばかりとなったリスボン(ホルトガル)で、突然の中止発表。翌年からダカールラリーは南米にその舞台を移し、2019年のペルー大会までそれが続いた。当時を振り返っておく。

極めて単純化して言うと日本のテストは低速すぎる - スプリントエンデューロ - その発祥について別の角度から

ちょっと前に米国のフルガススプリントに関連して書きましたが、スプリントエンデューロについて書いた別の原稿です。併せて読んでください。日本でもすでにガラパゴス化の弊害は起きていて、次第に顕在化しています。

思い出の一台 - 砂漠のファクトリーマシン ホンダNXR試乗 松井勉

先日(2020年2月だ)、BMWインターナショナルGSトロフィ、ニュージ―ランドから戻ったばかり。アドベンチャーバイクの分野で第一人者として活躍するジャーナリスト。松井勉さんが選ぶ「忘れることができない一台はやはりこれだ。 今も思う。あれほどスバラシイ走行感覚のダートバイクにはなかなかお目にかかれない。HONDA NXR750R  50㏄のスクーターから逆輸入のロードバイクまで20台以上のバイクを乗り換えて来た。数えたらそのうち13台がダート系バイク。うちCRとITが純然

もうだめだ。そう思った時、レースは終わる。たった一人で世界GPに立ち向かったライダーを支えたものとは何か。

予選落ちして悔しくて涙を流すライダーもいれば、何があっても涙をこらえ、悔しかったら練習を積んで強くなるだけ、と自分にハッパをかけるライダーもいる。こうして、悔しさと涙と練習の分だけ彼らは強くなっていく。「僕は貧乏なライダーだった。3本しかないモトクロスパンツは全部ボロボロで、そのなかで一番ましなのを決勝ではくんだよ」。 そんな時に出会った彼女が、実は英語を話せたということを知ったのはチャンピオンになってからだった。やがて彼を支えた本当の愛を知る。 「もうダメだ。じゃなくて

究極的に洗練された西森裕一の装備 - ルーフ完走者の条件

森耕輔に続いて、今回もルーフオブアフリカフィニッシャ―の装備。このレースは距離、日程も長く、しかもサービスポイントがほとんど無いという点でも、とにかく走り続けることができることが、生命の安全という意味でも重要で、かつ、ライディングがハードなので、軽量であることも大切。そのバランスを追求したものと言えるでしょう。西森は、ハードエンデューロだけではなく、エンデューロ、クロスカントリーでもエキスパート。JECでは、IBチャンピオンを経てのIAライダーです。

ルーフオブアフリカを完走した正真正銘のハードエンデューロライダー 森耕輔の場合

トレイルツールはライダーの哲学を表すもっとも歴史あるハードエンデューロと言われるルーフオブアフリカに、2013年、2014年と連続出場するがともにDAY2でリタイア。しかしここであきらめず、徹底的に鍛えて挑戦した2017年、ゴールドクラスで完走を果たした、リアルハードエンデューロライダーの装備を紹介。