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惣流・アスカ・ラングレーを愛しています。(#ネタバレあり)

惣流・アスカ・ラングレーが好きです。
初めて観た24歳のときから、もうじき50歳になろうとしている今でも。
この「好き」は、恋愛対象ではなく、親の愛情でもなく、憧れでもなく、庇護対象でもなく、ビジュアルでもなく、親愛でもなく。
私は彼女を「どう愛して」いたのかを改めて考えてみました。
  
私はPerfumeのファンです。ファンクラブにも入り、ライブがあればPerfume Tシャツを着て必ず参戦します。私のPerfumeに対する「好き」は、彼女らの歌だけではなく、ダンスだけでもなく、ルックスだけでもなく、性格だけでもなく、歴史だけでもなく、表には出さないが時折滲む苦労だけでもなく。もちろん情欲の対象でもない。彼女らのすべてが「好き」です。
私の惣流・アスカ・ラングレーに対する「好き」は、Perfumeに対するそれと似ています。
  
私は惣流・アスカ・ラングレーの全てを愛しています。
  

「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」を観る前に、私はこう書きました。
  

『当たり前に公開初日に(破を)観に行った。一番の驚きは、「式波」・アスカ・ラングレーだったこと。私が気に掛けた「惣流」・アスカ・ラングレーはもういなかった。』

 
庵野監督は「新劇場版」でエヴァをグランドリセットしてしまったのだと思っていました。1997年までのエヴァを下書きにして、これからのエヴァはこうなんだと改訂されてしまったと思っていました。そう、「惣流」・アスカ・ラングレーは、「式波」・アスカ・ラングレーに上書きされてしまったのだと思っていました。
  


違いました。庵野監督のエヴァへの愛は、驚くほどに果てしなく深かった。
  

TV+旧劇場版と新劇場版は、異なるレイヤーとして同時に存在していると思っています。所謂並行世界です。
平行世界というのは有りがちで陳腐な題材に思えるかもしれませんが、実際に真剣に研究されている概念でも有り、かのホーキング博士はその最期に「多元的宇宙」に触れています。


私の解釈はこうです。
TV+旧劇と新劇は同じスタート地点を持つ平行世界であり、互いにゆらぎを持って進んでいく。それらの世界 (TV+旧劇・新劇のふたつではなく、貞本版や数多に溢れるファンフィクションも含め、無限に存在しうる。その象徴が、月面に並ぶ無数の渚カヲルの棺) は、互いに緩やかに干渉しつつ成長する。時折ゆらぎの波長が合うと、互いが強く影響されることもある。
だから、「惣流」と「式波」はともに存在し、時折干渉し合いながら、ともに生きている。
  
惣流・アスカ・ラングレーはいましたよ、ちゃんと。成長して、シンジに「好きだった」と言われて、恥ずかしそうにしていましたよ。

そこに至るまでには、長い時間が必要でした。

おそらく14年。その時間を要し、アスカは、そしてシンジは、「好きだった」と言えるようになりました。私は泣かずにいられませんでした。
  
時は残酷であり、そして尊いものですね。それはアスカも、シンジも、綾波(複数)も、ミサトも、リツコも、トウジも、ケンスケも、そしてゲンドウも、時が経って変わっていきます。それを見届けることが出来たのは、とても幸せなことです。
「Q」が14年後の世界と知った時は戸惑いましたが、アスカやシンジに限らず皆が成長して赦し合うためには、その時間が必要だったのだと、今わかりました。
  

私の、惣流・アスカ・ラングレーへの愛は、確かに救われました。

  
同じルーツを持つ、式波・アスカ・ラングレー。その生い立ちは明らかにされていませんが、「綾波シリーズ」と同じく「式波シリーズ」であるという事実は衝撃的でした。
綾波シリーズがユイをコアに持つ複製体であることと同じように、式波シリーズはキョウコをルーツに持つ複製体だと解釈しています。2番めの綾波がシンジやアスカ、トウジやケンスケや委員長、ミサトらとの触れ合いによって成長し、また初期ロットと呼ばれた3番めの綾波が第3村でのコミュニケーションで成長したのと同じように、式波・アスカ・ラングレーも、時とともに成長します。死装束を纏って最後の決戦に向かう前に、憑き物が落ちたかのような声で「あの頃の私はあんたのことが好きだったんだと思う」とシンジに告げるシーン、そして「私のほうが先に大人になっちゃった」と告げるでもなく漏らすシーン。ここは物凄く腑に落ち、救われました。「式波」にも時間が必要でした。
  
世間を騒がせている式波・アスカ・ラングレーと「ケンケン」ですが、私にとってはとても自然な流れ。
ケンスケは28歳の大人です。トウジが「人様に言えないようなこともした」と言ったように、ケンスケの14年がどうだったのか、想像するに難く有りません。明日を生きることに必死だったと思います。対して式波は、サルベージされたのがいつだかわかりませんが、生きることそのものにはシンプルに困らなかったでしょう。エヴァに乗って世界を守るという任務だけで生きて行けたかもしれません。毎日を生きるために14年間を生きたケンスケよりも、精神的に幼くても不思議では有りません。
そんな式波にとってケンスケは、他人以上友人未満。もちろん恋人ではありません。でも、式波・アスカ・ラングレーが落ち着ける場所であることは確かです。

私の妻(リアル妻)は、こんなことを言っていました。

いつも薄着でいるのは、ラングレーなりの抵抗だったんだと思うのよ。「私はこの通り成長しない身体です。同情なんてまっぴら御免。それともガキに欲情するような最低野郎ですか?」という、可愛くないけどわかると可愛い警戒心(注:中身28歳)。ラングレーはケンケンに心をちょっと許してるから(そうじゃなきゃ愛称で呼ばない)、それがバレないようにという鎧でもあるのね。

うん、そうだね。そう思うよ。


だから私は、ケンスケにエールを贈りたいと思います。アスカを支えてやってくれ、ケンケン。

  
どうしてシンジじゃダメだったのか?色々理由はあると思います。アスカが先に大人になってしまったからかもしれないし、アスカが過去の自分の想いを認めてしまったからかもしれない。14年経ってしまったからかもしれない。やはり時は偉大で残酷。かつてリツコも言いましたよね。「男と女はロジックじゃない」って。あの時の流れでは、そうなんだと思います。理由はあるけど、ロジックではないんです。

惣流・アスカ・ラングレーも、式波・アスカ・ラングレーも、間違いなく救われました。それが本当に嬉しかった。


シンジについてはまた別稿で記したいと思いますが、最期に手を取った相手についてひとつだけ。
あの手は、他人の象徴です。新たな(シン)世界と言っても良い。その手を取って新たな世界へ出発する。駅は到着点であり、出発点である。なんて素敵な終劇でしょうか。


私の全ては救われました。少しの淋しさとともに。

さようなら、全てのエヴァンゲリオン。そして、万感の想いを込めて、こう言いたいと思います。


ありがとう、全てのエヴァンゲリオン。


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