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久々の現地観戦で感じた「現地観戦の価値」

久しぶりに等々力で川崎フロンターレの試合を観戦してきました。

DAZNでやっている試合はほぼ欠かさず見ているのですが、子どもが生まれ現地観戦からは遠のいたので、1年弱ぶりの現地観戦でした。

試合も勝利し満足でしたが、ふとスポーツの「現地観戦の価値」について考えました。

テレビでも同じ試合は観れるし、なんならプレー自体は中継映像の方が細かく観れます。
家だと試合開始時刻ギリギリまで好きなことができるし、試合後満員の電車に乗る必要も無い。
特に今は現地観戦の醍醐味である応援や歓声を上げることもコロナ禍で禁止されている状況です。

現地観戦しか観る方法がない人ならまだしも、私のようなDAZNに視聴料金を払っている人がそれでも現地で観に行くのにはどんな理由があるのだろうか、と自分なりに考察してみました。

現地観戦はあくまでイベントだということ

久々の現地観戦で再認識したのは、同じ試合観戦でも現地で見るのはイベントなんですよね。
現地観戦となると会場へ着く時間を考えたり、今日の天気を確認したり、現地への持ち物を用意したりと良くも悪くも今日の試合のことで朝から頭がいっぱいになります。

そのような準備や手間があるからこそ家での観戦と違い期待や緊張感、思い入れなどが膨らみます。

中継映像で見る試合は、現実の試合が終わっていても結果を見ずに試合を見ればその人にとってはある意味それがライブ映像になります。

ただ、現地観戦はその時にしか観れない、そこでしかできない体験があります。

中継映像は見ている映像は全員同じです。

その点現地観戦は例えば中継では映っていない選手の動き、観客の興奮、あとはカメラが好きな人は自分で一番いい写真を撮ることなど、それぞれの楽しみがあります。

体験価値こそが現地観戦の醍醐味であるのだと感じます。

なぜプロでもない甲子園や高校サッカーの試合がプロの試合以上の観客動員が発生するのか。

それは体験価値の究極だからだと思います。

学生たちはプロと違って負ければ引退です。プロや大学の部活などで続ける人以外は本当にそれで本気でやるスポーツは最後になります。

高校の3年間を部活に捧げてきた人たちにとってはまさに命懸けの戦いになります。

その気迫や覚悟をテレビ以上に味わい感動したい、という思いがプロの試合以上の観客動員数に繋がるのだと思います。

プロの試合でも決勝戦や昇格決定戦、残留争いの渦中に観客動員数が上がるのは観客が普段の試合以上に体験価値があると期待するからです。

人はその瞬間その場所でしか味わえないものに価値や優越感を感じるのだろうな、と勝手に考察をした次第であります。

お読みいただきありがとうございました。




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