挑戦する意味

今日は1日かけてシステムの理解をして、業務を終わらせました。
慣れたら30分で終わる仕事なんだって。
スモールステップすぎて泣ける😢

はい。
本日は
『僕なりの挑戦する意味』
についてお話しようかなと思います

僕は大学生の時に全国規模のボランティア団体に所属してました。
#最大4000人だったよ
それだけ大きいからこそ一つ一つのボランティアの規模も大きいです。

春休み、夏休みは100以上の活動が何個か
最大600人の活動もあります。
#行く活動は自分で選ぶよ
その活動はほぼ全て学生で企画し、作り上げます。
バスの手配、班制度、食べ物、当日スケジュールまで。

僕はそこにプロジェクトリーダーやセクションリーダーなどコアなところで関わってきました。

まあ、ボランティアなので準備をしたところでお金がもらえるわけでもなく、交通費もかかるし、活動に参加するにあたっては参加費も必要なので学校の勉強しながら、バイトで稼ぎながら、準備を進めていくのです。少なくとも暇ではないですよね笑

ボランティアされたことない方にとってはなんでそんなに非生産的なことに精を出せるの?って思われるかもしれないですが、やってみたら楽しいんです笑

ありがとうってたくさん言われたり、ボランティアを通じて仲間ができたり。部活みたいな感じなんです。僕にとったら。

別に大学生なんだから毎日遊んで楽しくいたらいいじゃんって同級生には思われてたと思います。

先ほども言った通り、僕はここのサークルにかかわってる人の中でもコアなポジションを誰に求められるでもなく、自分で自ら関わっていました。そんな中で周りの人からは「なんでそんなに頑張れるの?」とか「お金もらってないのによくやるね」とかって言われてきました。


ここからが本題です。

人はなぜ挑戦するのでしょうか?

今の日本は極論、働かなくても飢え死にしたりしません。(極論だからね!)挑戦しなくても人生は安定して生きていける世の中になりました。

それなのにどうして挑戦する人は、頑張る人はいるのでしょうか?

僕が挑戦し続ける意味は

「挑戦したほうがおもろいから」

僕らは日常で「面白い」を簡単に手に入れられる世の中になりました。

ゲームやカラオケ、スマホなどなど

しかし、僕の価値観的には挑戦したほうが、苦難は多いけどその分の喜びも大きいということを部活やボランティアを通じて体で知ってしまっています。

身近に手に入れられる喜びは手軽さがゆえに喜びが小さいです。

苦難を乗り越えて得た喜びはため込んだ苦難を爆発させるがごとく大きいものになります。と僕は考えています。

この違いをうまく表現できたらいいのですが、今の僕ではこの程度しか今は表現できません。


僕は常に苦難な道を選び、その先にあるほんのひと救いの喜びを糧に日々挑戦し続けたいなと思っています。

待っていてください。挑戦した先に僕の言葉はもっと厚くなります。

もっといろんなことを語れるようになります。つたない文章ではなく、全員に伝わるような文章、言葉を使えるように努力します

そうなれるように自分らしく生きていきます。

一緒に挑戦しましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?