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「長文メールは詐欺師から届く」「長い文章で結論が無いのは時間泥棒」「個人のお気持ちポエムは不要」事実と結論にスリム化しませんか問題

最近文章が長いと感じる

「文章が長いと感じる」のは2020年大事件が起きてメディアも市民も色々な意見を発信するようになったことに起因する。テキストや動画、音声での情報を毎日受け取る。テレビや新聞を購読していない自分でもスマホやPCから嫌になるくらい届く。

自らの生命に関わる問題なので情報の出所が「プロかアマか」は関係無く「嘘か本当か」が重要視された結果、権威のあるメディアや公式発表が「フェイクニュース/隠蔽」扱いされ、個人の発信を信用することも少なく無い。

何が本当か、何が有益か。それぞれの価値観で選択していく。
嘘を摑まされていたとしても自分の責任で情報に乗っていく。

なので、文章は短いほうが有難いわけです

事実・結論だけが欲しい


みんな忙しくなって時間が無い中、情報を選択しています。
そして正誤の判断は情報を受け取った本人がしていきます。
なので発信者の感情やポエムは必要なかったりします。
気になったことは後で調べて深掘りするはず

2000字以上を読んでいると頭が疲れて結論が頭に入らなくなるので、短くしていきましょう。


ここで読み終えてOKです。
この後に続く内容はいわゆる不要な長文です。


改めて自分がnoteで書いた文章を読み返すと長いなと感じます。
どうして文章が長くなってしまうのか?

文章が長くなる理由を考えたのですが
長い方が説得力があるらしい
誤解や反論の無いようにエクスキューズ・説明を多くしておく
「本当に頭の良い人は、難しいことも分かりやすく説明できる」信仰
文字数が報酬に関わる。1文字◯円の設定で書かれた文章。
⑤エビデンスはぁああああ!!!!!!!!!!!!!!


①長い方が説得力があるらしい
長い文章を読むと説得力を感じる人もいるようです。長文で説明してくれるのが熱心に感じたり、信憑性があるとか。

自分は全く逆で長文のメールとか依頼を受けた時に感じるのは「詐欺」と「搾取」です。「ネズミ講」とか「詐欺」とか「やりがい搾取」を実行してる方には馴染みがあるかと思います。長文を読ませて思考力を無くしてから要望を通す手法。

「報酬は払えないんですが、〇〇してもらえませんか?」


こんなメール着たら即ゴミ箱行きなので、文字数を多くして
「私は〇〇というもの凄く偉い組織で働いており、〇〇さまの活動に...」
2000文字とか全然関係無いこととかプラスして頭を疲れさせる。

陰謀論とかメチャメチャ長いですよね。自分の人生と全然関係ない名前とか数字とかでてきて。電話があった時代は、長電話して疲れさせて最後に要望を通す手法もありましたが電話無くなっても次は「長文」....無くならないですね。

やっぱり自分の文章も長くなってきましたが....要件は3-4行で済む。
済ませていく。という方向性が好ましいと思います。


誤解や反論の無いようにエクスキューズ・説明を多くしておく

これあります。今自分が書いてても、後でツッこまれたくないから冗長な説明を増やしてしまってます。全方位の配慮するのは不可能なのに、沢山の読者を想定してしまう。

無視で。
「文章は長いほうがかっこいいです!撤回してください」
「小説や書籍は必要ないということでしょうか?あやまってください」
というクレームがくる現象は起こります。どんなに予防線を貼っても。

そもそも日本人は字が読めません。
文字を読んで、書いた人の本意を読み取ることができないのです。
認知の歪みが日本中に発生していて1億通りくらいに受け取ってます。
「和を尊し」としてきたので多様な議論に慣れておらず、違う意見を受けた瞬間自分の人格が攻撃されたと認識しやすいのです。

「識字率99%の日本」素晴らしい!みたいの見ますが...
字は判別できても、字を頭に入れて理解する率ではありません。

「理解力」「読解力」という言葉が近いと思うのですが
言葉を読んで理解する能力はメチャメチャ低いと思います。
自分の思い込みで読みたいように変換してしまう。

そんな怪奇現象には時間を割く必要が無いと思います。無視で。


「本当に頭の良い人は、難しいことも分かりやすく説明できる」信仰

これ困りますね.....
言語化して他人に説明できないといけない雰囲気。
人間は分かり合えない。故に無視。終了!

分かり合えるなら言葉を尽くして説明していく必要がありますが、分かり合えないことが多いので時間の無駄です。自分の人生に時間を使いたいです。

この信仰が産んだ弊害として「専門的な話も身近な例え話にして説明すると腑に落ちる」というものがあります。これも冗長な説明を増やして文字数を増やしてしまう原因になってます。

会社の組織運営を議論する時、誰かが「サッカー」に例えて説明・説得しだした瞬間に他の人もサッカーの要素を頭に浮かべて変換しながら議論することを強いられます。

・サッカーがわからないとわからないことが2つに増える
会社の営業サッカーのフォワードは例えが違いませんか?な例え違い
・例えるのが得意じゃない人が例えだしたら地獄

とにかく考えることが増えて本質から遠くなり理解度が減少します。
例え話が本当に上手い人だけが例えて終わりにする。とかピンポイントで使う。などなら有効なのかもしれません。※この項も例えで説明してしまってます

全員が平等に理解する機会を用意する必要は無く、理解度や興味に準じてそれぞれのレイヤーで存在していて良いと思うのです。時間が経ってから解ることもある。あとで興味を持って調べることもある。その時に事実の説明があればいい



全員わからないくて良い!



文字数が報酬に関わる。1文字◯円の設定で書かれた文章。

これは自分ライターじゃないんでわかんないですね。広告を読ませるための文書も近いですかね。発信する側より受け取る人が快適なコンテンツだと良いな。くらいな感じです。でも2ページ2000文字くらい読まされて最後に結論無いのは損した気持ちになります。意図的なら減って欲しい。



⑤エビデンスはぁああああ!!!!!!!!!!!!!!

これも無視しかないです。

根拠はああああああああ????
データはあああああああああ??

確かにデータや根拠は重要です。でもデータや根拠が無いと全てがフェイクという訳ではありません。もっと言うとデータが無いと発信していけないわけではありません。

データをどのように読み取るか。
データや根拠から総合的に判断していく。

そんな状況になっていると感じます。

データや数字から一つの答えが出るのは無く。
データを読む人によって色々な答えが出ていく。

「〇〇者数〇〇人!!」というデータを見て
「まだ大丈夫っしょ」
「マジ危ない」
「どこどこの国より良い感じ」
「交通事故より少ない」
「隠蔽してる!!!信じられない」
とか抽出方法は人それぞれ。客観的に読み取ることは不可能で、数字を主観的に判断していく現状です。

「東京◯ラートは赤!」という言葉から
「危ない危ない」
「何を大げさな」
というように一つの大喜利からも個人が判断していきます。

データや根拠から判断した個人の判断による結果は自己責任
残念ながら全ての人を安心させる、納得させるデータは無いのです。

なので根拠やデータは重要ですが、運用や読み取り方も人それぞれなのでエビデンスを用意するのに時間を使いすぎるのも勿体無いと思います。


【結論】文書は長くなる

なるべく文字数を減らして、シンプルに言い切るように心がけたつもりですが2922文字になってしまいました。難しいですね。このnoteを記事化した後の投稿はシンプルに減らしていく予定です。

論文やエンタメ的な読み物などは文字数必要だと思いますが、ネット上の情報的なコンテンツはスリム化してエコにできるかなと思い記事にしました。可処分時間が少ない現代にノイズは少ない方が良いと思ってます。そして最近はyoutubeで検索して情報を得る機会が多いです。購入検討してるカメラとか、映像・音楽機材とか、unityプラグインとか何でも本物が撮影されていて嘘も少なく事実ベースなので。写っていることが全て。

youtubeの製品説明を観る時「誰が」という部分は重視していなくて、製品の情報だけを取得します。早送りとか、違うレビューにスキップしたり。動画を選ぶ基準としてyoutuberの話す聴きやすさだったり動画が綺麗だったりはありますが、言語が違う国でも良かったりします。自分の欲しい事実があるか。※またエクスキューズですがエンタメは別です。人の個性や気持ち、余白だったりが重要。

ということでシンプルにしていきませんか?!という提案でした。
これからは自分のnoteなどで実践していきます。

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