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日本語教師日記112.とっさに出る行動や言葉


今日、対面の生徒のために、教室にしているアパートに早めに暖房をつけ、
お湯を沸かして待っていました。

9時15分、Sさんがレザーのハンチングに、
バックパック姿で元気に現れましたので、早速お茶を出します。
5種類のティーバッグを机に並べ、冷たい牛乳も置いてあります。
イギリス人の彼には、温めた大きなティーポットに、カップも温め、茶葉に勢いよく熱湯を注いでジャンピングさせ、カップには先に冷たい牛乳を注いでから供したいところですが、面倒なのでティーバッグです。Sさんごめんね。

小さなキッチンから、熱湯を入れた2つのティーカップを両手に持って歩き始めたのですが、左手はちゃんと把手を持っていたのに、右手は変な持ち方をしたために、熱いカップに指が触れていて、でも、歩き始めていたので放り投げるわけにもいかず、

あっちちちちっ!

と言いながらやっとのことでテーブルに着いて、急いでカップを置きました。


で、

あっつかったぁぁあ〜!

と言いながら、その指で耳たぶをつまみました。
全くの無意識の行動です。

Sさんは、「なぜ、耳にさわりましたか?」と早速訊いてきました。

ーーはい、えとえと、う〜む、日本では、熱いものに触れてしまったとき、
その指で耳たぶを触ることになっています。

「なぜですか?」

ーーなぜか・・・なぜでしょう。
たぶん、体の中でそこが一番冷たい部分とされているからでしょう。
そうそう、子供のころに、そう聞いたことがあります。
イギリスでは、そういうとき、どこに触りますか?

「どこに・・どこに・・触りますかね。・・触りませんね」

ーーえ〜、では、傷ついた、火傷をしたかもしれない可哀想な指は、
どこでコンソレーションを得れば良いのでしょうか?

「わかりません・・・あっ、なるほど」

ーーは? なんですか?

「だから日本人はイヤーマフが好きなんですね。耳が冷たいから」

ーーさ、それはどうかな?


この日のレッスンは、
各国の人は咄嗟とっさのときにどういう声を発するか、
ということから、話が始まりました。


「うちの義母は、熱いお鍋の蓋を、ついつい素手で開けながら、
 『しゅしゅしゅしゅしゅしゅしゅ』
と言いますよ。Sさんは?」

ーー何も言いません。
しゅしゅしゅしゅしゅしゅは、ニュージランドだけかもしれません。

「じゃあ、黙って、というときは?
   私たちは しっ、とか、しーっ、とかですけど」

ーーイギリス人は、sh!  です。

「し、じゃなくて、sh!   しゅ、ですね。
うちの夫は、『しょしっ!』と言います。

ーー『しょしっ!』は聞いたことがあります。イギリス人は言いませんが。

「夫が『しょしっ!』というと、娘らは大笑いして、
   『おとん、しょしは止めろ!』と言いますね」

ーー『しょしっ!』ぐらい自由に言わせてあげたいものですね。

「そうですね。うちの娘らは親には厳しいので。
それにしてもSさん、とっさに出る言葉、生まれた時から言っていた言葉は、
どうしても、出ますよね」

ーーそうですね。
そういえば、こう言う話があります。
戦時中に、スパイがいろんな国に入り込みました。
彼らは語学の特訓を受けて、絶対バレないレベルになってから
スパイ活動をします。
スパイを捕まえた方は、本当に自国人かを確かめるのに大変でした。
それほどスパイはその国の人になりきっていたそうです。
でも、いい方法があったのですって。
スパイを捕まえた方は、疑いをかけられたスパイに
いきなり熱いお湯を、ちょっとかけるんだそうです」

ーーほうほう・・すると?

「いきなりですから、どんなにマスターしたはずの言葉でも、
【熱い!】と言う言葉は、母国語で出てしまうんですって。
それでばれるって」

ーー先生、本当ですか?

「ガセかもしれません。でも面白いでしょう?」

ーー面白いですね。先生のご主人は?
例えば、熱い物に触ってしまったら、どういう言葉が出ますか?

「夫の日本語はかなり上手ですが、最初のころは、
『アチチチチ!』とか、『アッツッツ!』とか『アチッ!』
は出なくて、
唯一知っていた、苦痛を表現する言葉を使っていました。
彼は、『アチチチチッ!』と言うかわりに、『イタタタタタッ! 』
と言っていたので、
私がいちいち訂正していました」

ーーほほう・・・・で、直りましたか?

「はい、熱いものにうっかり触ってしまったときは、飛び上がりながら、
  『アタタタタッ! じゃなくって、アチチチチッ!』
と、よく言い直していました。

でも今でもやはり完璧とはいかず、『あじゃじゃじゃじゃ!』とか言って、
子供に爆笑されています。

ーーその、あっちっちというのは・・・

「熱い、から派生したものですね。頭をぶつけたりすると、
『あいた!』『あいたたた!』『たたた!』『いったぁ〜』など、
さまざまなことを言いますが、これも、「痛い」からでしょう。
英語では?

ーー英語では・・・ouch!   ですね。

「あうちっ、ですか。カウチとは・・」

ーー全く関係がありませんね。

時間の半分をこのような自由会話に使います。
難しい言葉はその場で辞書を引いてもらいますが、
だいたいほとんど、日本語だけで話すことができています。

あと半分は、池澤夏樹「キップをなくして」を一緒に読んでいます。

そのノートです。

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教材をプリントするのは生徒のSさんの仕事です。

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私の乱暴な字も、11年見慣れて、読めるようになったそうです。


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Sさんは、日本人の奥様ともっと自由に日本語で会話がしたいので、
その日読む分の2ページは、前の週に私が録音し、お送りして、何度も聴いていただいています。

やってもやっても、まだまだ難しい日本語沼にずぶずぶはまっていくSさん。
どうか挫けずに、これからも頑張っていただきたいと思います。
及ばずながら、伴走させていただきます。


Sさんは帰って行く時に必ず、

「勉強になりました、tamadoca先生」

と言って、深々とお辞儀をしてくれます。

私こそ、毎回本当に勉強になりますので、深くお辞儀を返します。


・・・対面のプライベートレッスンの様子をお伝えしてみました。




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