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日本語教師日記その32.話し言葉と、学習言語としての日本語


昨日は、「時効かな?(3)」ということで、実際にあったことをこそこそ〜、っとお話ししました。

今日は、一般論ですので、時効は関係ありません。

日本語学習者の日本人パートナーの皆さんはもちろん、
周辺にいらっしゃる日本人のお友達・同僚の皆さんのよく言うことがあります。

日本語教師ならみな知っていることですが、周囲の人から生徒が、

「誰もそんな話し方しないよ」
「きちんとしすぎ、真面目な日本語すぎるよ」

と言われることです。

生徒自身も、ずっとそう思ってきていますので、こちらに言ってきます。
これは、習い始めた人に圧倒的に多いです。

「先生、私は半年習ったのに、まだ全然話せません。
僕の彼女や会社の話し方と、教科書で習ってきたのと、全然違います。
みんなから「誰もそんな話し方しない」とか、
「お前の日本語はフォーマルすぎるし、不自然だ」と言われます。
僕はカンバセーショナルな日本語を学びたいので、
最初から普通の日本人の話し方を教えてください」

来ましたね。



そうですか。

だいじょうぶです。
お任せください。

こちらは理論武装しております。
言われ慣れているのです。

私が説得で使うのはこんな内容です。


「お友達がおっしゃるのは、間違っていません。
本当にその通りです。
私もそう思います。

でも、今あなたは基礎を固める大事なときです。
今を逃しては、綺麗な日本語、正しい日本語を獲得できるときはありません。
これは断言できます。
騙されたと思って、私についてきてください。
で、今しばらくは、くだけた日本語の方は、
とりあえずは聞いて、なんとなく理解するところまでにしておいてください。
それで十分です。
やがて、フォーマルもカジュアルも両方聴けて、話せるようになれば、
あなたの日本語は最強のものです。

実は、カジュアル日本語の第一歩を始めるまで、もうすぐです。
私はもうすぐあなたに、辞書形・ない形・て形・・
と、順々にお教えします。
それさえマスターしたら、すぐお友達の日本語に近づけます。
私を信じて、もうちょっと我慢してください。

そう言うのには理由があります。

あなたにとって、
「食べましたか」も、「食べた?」も、
tabemashitaka, tabeta? と、音の連続であるだけですよね。

短いか長いか。
言いやすい言いにくい。
みんながどうやら、教科書と違うことを言っている。
そっちの方が、自然で、プラクティカルな気がする。

今はまだ、それぐらいしか認識できていないのではないでしょうか。

つまり、言葉の持つニュアンスごと、その言葉を
まだ、自分のものにしてはいません。

そういうときに、周囲に言われるままに、
友達日本語を聞き齧りで使う習慣がついてしまうと、
場合によっては、その場では不適切な話し方をしてしまう可能性が高いです。

日本語ほど、文語と口語の違う言語は珍しいとされています。
間違いを避けるのには、まず、「ですます体」をしっかり定着させてください。

正しい日本語から くだけた言葉遣いにおろしていくことは簡単ですが、
その逆はとても難しいです。

私は今は、「君の話し方は丁寧すぎる」と言われる方が、
「失礼な人だ」と思われるより ずっといいと考えます。

失礼な話し方をしてしまったとしても、
聞いている人は指摘してくれず、「まあしょうがないか」で流します。
ネイティブとして、それがおかしいのはわかっても、
系統だって説明することは、「ネイティブだからこそ」できないからです。
上司は、「そんな喋り方、だめだ」とは言ってくれますが
じゃあどう変えればいいのか、ルールを示して教えてはくれません。
100%言いっぱなしです。

あなたの日本語のベースが確立して、
フォーマルとカジュアルの間を、ぐらぐらせずに行き来できるようになるまで、
一緒にがんばりますから、楽しみにしていてください」


これは私が、日頃から強く思っていることです。
これで、大体の人が納得してくれます。


日本語を0から学び始める場合、最初の数ヶ月は覚えることも多いですし、
教科書の日本語と、実際に日本人が話す言葉とが、
あまりに違うために戸惑うことが普通です。

でも、最初の半年は、ぐっと我慢して基礎を固めて欲しいと思います。

「書を捨てよ町へ出よう」とは寺山修司さんの言ですが、
言語学習では、そう簡単に「書を捨てないでください!」・・・です。


サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。